歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

鶯谷駅南口に飾られていたもの

この日は鶯谷駅から探索を開始した。

 

訪問日 2023年6月10日

 

今までも駅内にあったはずなのだが、気にならなかったものが、今回は目に入った。

 

鶯谷の縁起を記した板絵

鶯谷といえば人々は直ちに鶯谷駅の
あるそれを想うであらうが
これが明治以後につけられた
名稱で江戸時代の
鶯谷として知られてゐる
のはこヽではなく今の谷中
初音町にあって鶯谷
いったのである初音町と
いうのは明治二年に出来
た町名であるがその起り
は前から初音町三丁目に
ある靈梅院附近の森
を『初音の森』といって
から初音の森にもとず
いているのである初音の森といわ
れるようになったのは此の附近
に鶯が沢山いたので鶯にちなんで
つけられたのでありこの靈梅院
附近には龍泉寺海藏院
長明寺上三崎北町の本立寺
加納院 観音寺の七ヶ寺が
立ち並んでいてこの下の谷を
鶯谷』といったのでその
名は鶯の名所であったからである
それは元祿の頃東叡山輪王寺
の宮即ち上野の宮様が京鶯
を数多くこヽに放されたので
年の寒暖によっておそい早いは
あるが立春二十日頃から
初音を発した関東の
諸鳥の囀りがみな訛りが
あるけれど当所の鶯は
皆上方の卵なので
東國の訛りがなく
音色にすぐれていたという    

(江戸砂子より)

有限会社ナガヰ廣洋社
 代表者 永井徳治

 

句読点が付いていないように見えるので、付けてみよう。

 

鶯谷といえば人々は直ちに鶯谷駅のあるそれを想うであろうが、これは明治以後につけられた名称で、江戸時代の鶯谷として知られているのはここではなく、今の谷中初音町にあって鶯谷といったのである。
 初音町というのは明治2年(1869)に出来た町名であるが、その起りは前から初音町三丁目にある霊梅院附近の森を「初音の森」といったから初音の森にもとづいているのである。初音の森といわれるようになったのは此の附近に鶯が沢山いたので、鶯にちなんでつけられたのである。
 附近には霊梅院、龍泉寺、海蔵院、長明寺、上三崎北町の本立寺、加納院、観音寺の七ヶ寺が建ち並んでいて、この下の谷を「鶯谷」といったので、その名は鶯の名所であったからである。
 それは元禄の頃、東叡山輪王寺の宮、即ち上野の宮様が京鶯を数多くここに放されたので、年の寒暖によっておそい早いはあるが立春二十日頃から初音を発した。関東の諸鳥の囀りにみな訛りがあるけれど、当所の鶯は皆上方の卵なので東国の訛りがなく音色にすぐれていたという。

 

寄附されたと思われる「ナガヰ廣洋社」を検索してみたが、見つからず。

結構古いものだと思うが、このようなものが駅に掲示されているのは珍しいのことではないだろうか。

 

カロンタワー&マジパン細工&パン細工

2022年7月11日に鴬谷駅は開業110周年を迎えた。
華調理製菓専門学校に鶯谷駅より依頼があり、教員と学生が山手線をイメージした特別作品を制作したものがこれだそうだ。

約1年前のものということになる。
まだ原形を保っている。

今年2023年7月11日以降にはなくなってしまうのだろうから、見たい方はお早めに。

と書いたが、この記事を投稿することを忘れてしまい、気が付いたのは、随分経ってからの2023年7月27日となってしまった。

今はどうなっているのだろうか?

 

鷲神社の熊手

 

本家本元「鷲神社」の巨大熊手