歩・探・見・感

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埼玉県指定史跡「一里塚」 in 埼玉県白岡市下野田

白岡駅東口に観光案内板があった。

 

そこに一里塚が載っていた。

 

行ってみることにしよう。

 

途中市役所と図書館に立ち寄り、しばし涼んでいた。

さて、スマホの地図アプリを頼りに、歩いていく。

余程ではない限り、スマホの地図アプリをずっと見ることはしない。

途中途中でチェックする感じで利用している。

信じてそのまま行けばいいのだが、たまに曇りの日など、誤動作するようなことがあるような気がするので、あまり信じてはいない。

信じていけば、早く行ける時もあるのだろうが、あっちを寄り道こっちを寄り道していくのが楽しい。

 

県道65号さいたま幸手線に出た。

少し離れたところからでも、これかなということが分かる。

 

両側から車が来ないことを確認し、車道の中央から撮る。

 

これは歩道から。

 

西塚

埼玉県指定史跡「一里塚」 南埼玉郡白岡町下野田
一里塚は中国で榎樹を植え銅表を立てて里数を記した堠塊の制に起源をもつ。日本では一般に徳川氏が制度化したといわれている。
慶長9年(1604)徳川家康は秀忠に命じて、江戸日本橋を起点にして榎を植えた一里塚を築かせ、全国に普及させた。一里塚の造築は、大久保長安が総督として司り、幕領は代官に、私領は領主に命じて行わせた。
榎を一里塚に採用したのは、榎の根が広く張って塚を固め、塚が崩れにくするためであった。しかし、榎の代わりに松などを植えた地方もあった。
この一里塚は日光御成道に設けられたもので日本橋から11番目にあたる。日光御成道は将軍が日光東照宮に参詣するために専用の道で、鎌倉街道と称される古道を整備して利用したものと思われる。
埼玉県教育委員会白岡町教育委員会

 

まだ、「南埼玉郡白岡町」になっている。旧町名の痕跡の一つだ。

 

東塚