今回は、その帰り、羽村市に戻る途中で発見した旧町名の痕跡を紹介することにしよう。
発見日 2023年11月2日
発見場所 東京都あきる野市草花
秋多町?
秋多町なんてあったのか?
秋田町?
秋川町ではないのか?
調べてみよう。
1921年(大正10年)4月1日
草花村、菅生村、瀬戸岡村、原小宮村が合併し多西村(たさいむら)を新設。
1955年(昭和30年)4月1日
東秋留村、西秋留村、多西村が合併し秋多町(あきたまち)を新設。
1972年(昭和47年)5月5日
秋多町が市制施行し、秋多市となるが、同日秋川市と改名。
1995年(平成7年)9月1日
五日市町と合併、あきる野市となる。
ということなので、秋川市の前身が秋多町であったことがわかった。
正式には西多摩郡秋多町大字草花字上折立となる。
折立は「おったて」「おりたて」「おりたち」と読めるが何と読むのだろう?
新潟県魚沼市上折立の上折立は「かみおりたて」と読むようだ。
あきる野市にある折立坂は「おったてざか」と読むようなので、「おったて」ということなのであろう。
由来は何だろう?
他の地域にある折立の由来は以下のようなものがあった。
・屏風を折り立てたようにそびえ立っていることに由来
・山の形が中国の折立山に似ることから
・「神が『降り(折り)立つ』ところ」
折立町内会
坂を下っていくと、土砂崩れがあったのだろうか、補強されている部分があった。
更に水が湧き出ているところがあった。