福寿院の近くに来たので立ち寄ってみたら、桜が咲いていた。
発見日 2021年6月21日(再訪日2023年3月30日)
発見場所 東京都中野区本町三丁目
参道にも桜が咲いていた。
参道の途中の御影石の門柱に「東京市外」と書かれている表札が設置されている。
90年以上も前のものなので、文字が薄れてしまっている。
歴史
1889年(明治22年)5月1日
町村制施行に伴い、中野村・本郷村・雑色村が合併し、東多摩郡中野村が発足する。
1896年(明治29年)4月1日
東多摩郡が南豊島郡と合併し、豊多摩郡となる。
1897年(明治30年)2月1日
中野村が町制を施行し、中野町となる。
1896年(明治29年)4月1日
東多摩郡が南豊島郡と合併し、豊多摩郡となる。
1897年(明治30年)2月1日
中野村が町制を施行し、中野町となる。
1931年(昭和6年)1月1日
字名改正(町名再編)を実施。従来の大字・小字を廃止して、新規に適正規模に区分した大字の設置が行われる。
1932年(昭和7年)10月1日
中野町は東京市に編入して消滅し、野方町とともに中野区の一部となる。
1943年(昭和18年)
東京都中野区道玄町
1967年(昭和42年)
東京都中野区本町
当時「東京市外中野町」という住所はなく、正式な住所は「東京府豊多摩郡中野町」ということになる。「東京府豊多摩郡」より「東京市外」にした方が都会的だという理由でそうしたのだろうか?
住職は先進的な方だったのかもしれない。
「中野町字道玄」となっているが、「大字」が抜けていて「東京府豊多摩郡中野町大字本郷字道玄」が正式な住所だったと思うのだが、確信はない。
上記の歴史から、この表札は1931年(昭和6年)以前のものだったと考えられ、とても貴重なものである。