歩・探・見・感

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志木市で発見した道路元標と里程標

志木市は志木町時代の道路元標と里程標がペアでそろっている珍しい自治体だ。

撮影日 2023年7月22、25日

志木町道路元標

設置場所 志木市本町二丁目 
     川口信用金庫 志木支店



正面

「埼玉縣」と刻まれている。

えっ!

裏面

裏面?

そう、こちらは正面ではなく、裏面なのである。

どうなってるの?

撮るのにも苦労する。

真上

 

道路元標は大正8年(1919)の道路法施行令によって、道路網整備のために全国の市町村に建てられましたが、戦後に役割を終えました。この道路元標は、大正9年に主要道路の分岐点であった本町1丁目交差点(この位置よりも志木駅寄り)に設置され、その後、反対側に移されましたが、道路拡幅のため再度移設されたものです。

平成29年1月 志木市教育委員会

ということで、移設した時に逆向きにしてしまったと思われる。

志木町はもうないので、埼玉県を表にしたかったのだろうか?

ありえな~い。

撤去されてしまうよりはいいが、「説明板まで作っておいて、志木市教育委員会、何てことしてくれたんだ。」と言いたい。

コンクリートで固定されてしまっているので、永久にこのままであろうか?

この件について、志木市役所に問い合わせたところ、「道路の拡張工事の際に、向きをそのままに対向車線側に移設した関係で表裏が逆になってしまった。」とのことだった。

まあ、確かに元の向きはそうなのかもしれないが、「志木町道路元標」と刻まれている方を正面にするのが、常識だと思うが、担当した志木市の職員は素人だったのか?
いわゆる役人仕事ってやつだったのかもしれない。
マニアではない一般の方は気にならないだろうが、自分も素人に毛が生えたくらいで偉そうなことは言えないが、とても気になってしまったので、暴言を吐いてしまった。
移設してくれたことには感謝しておこう。

約25cm角、地上高約68cm

宗岡村道路元標

設置場所 志木市中宗岡二丁目 
     宗岡小学校の正門前。

正面



真上

約25cm角、地上高約60cm。

宗岡村の歴史

もとは江戸期より存在した宗岡村、古くは戦国期より存在した棟岡であった。

1869年(明治2年) - 前橋藩および品川県の管轄下に置かれる。

1871年明治4年) - 廃藩置県により入間県の所属となる。

1873年明治6年) - 熊谷県の所属となる。

1876年(明治9年) - 埼玉県の所属となる。

1884年明治17年)7月16日 - 水谷村と連合し戸長役場を宗岡村に設置。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、入間郡宗岡村となる。又水谷村との連合を解除。宗岡村独立。

1944年(昭和19年)2月11日 - 戦時町村合併促進法に基づき、北足立郡志木町・内間木村・入間郡水谷村と合併し北足立郡志紀町となる。

1948年(昭和23年)4月1日 - 志紀町が解体され、志木町・内間木村・宗岡村・水谷村に分離し、北足立郡宗岡村が成立する。

1955年(昭和30年)5月3日 - 志木町と合併し、足立町大字宗岡となる。

1970年(昭和45年)10月26日 - 市制施行に伴い名称変更、志木市となる。

志木町里程標

設置場所 志木市本町二丁目
     朝日屋原薬局前



正面

和田町へ 三拾五町拾八間

              志木町

浦和町へ  貮里拾三町六間 

右側面

膝折村へ 壹里九町四拾壱間貮 尺 
大井村へ  壹里三拾四町拾壱 間 
川越町へ 四里三町三拾貮間壱 尺

左側面

與野町へ貮里六町壱間壱尺

裏面

明治四拾四年十二月建設

とあるが、他で見た里程標と比べると新しすぎるような気がする。これが設置してある保存状態が良くて当時のままということも考えられるが、レプリカなのかもしれない。ネットで調べてみたが、そのことに関する情報は見つからなかった。

志木市役所にも問い合わせてみたが、わからないとの回答であった。