歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

松山町道路元標 埼玉県東松山市

以前訪問したことがあるのだが、どこにあるか忘れてしまい、しばしウロウロしてしまった。

それは本町広場の片隅にあった。

 

発見日  2020年5月5日(再訪日2022年10月31日)

発見場所 埼玉県東松山市本町一丁目

 

右上が少し欠けている。

なぜだろう?

交差点にあったとき、車にぶつけられたのだろうか。

 

真上から見たところ

ポートレートモードで撮ってみた。

と書いたが、勝手にポートレートモードになっていた。

何もしないのにポートレートや動画や自撮りによくなってしまう。

何か押しているのだろうと思うだろうが、押していないつもりなのである。

画面におじさんが現れる。

年取ったなあ。

 

説明板

道路元標とは、道路の起点と終点を示す標識のことです。 「松山町から何処 どこまで」 が起点、「何処どこから松山町まで」 が終点となります。 大正8年道路法施行令 「各市町村二箇ヲ置ク」の規定により設置されたもので、当時の 道路整備の基礎となっていました。
当時の東松山市域は、松山町、大岡村、 唐子村、野本村、 高坂村にわかれており、 各町村には、それぞれ道路元標が設置されていたと思われます。 その後の 市町村合併や時代の流れとともにその存在意義も薄れ、 現在残っているのは、 野本村に設置された 「野村道路元標」 (農村センター交差点北東角) と 松山町道路元標だけとなっています。
歴史を刻む地域の歴史遺産として、大切にしましょう。

*この道路元標は、本町一丁目交差点の北西角にあったものを保存のため移設したものです。
東松山市教育委員会

 

本町一丁目交差点内にあった時は、地上高約30cmで、下部が埋もれていて「松山町」の文字しか見えなかったようだ。

25cm角

 

歴史

1889年4月1日に行われた明治の大合併により、当市域では以下の枠組みで合併となった。
・松山町(松山町、市ノ川村、野田村、東平村(旧:平村))
大岡村(大谷村、岡郷) - 合併当初は市ノ川村、野田村、東平村も大岡村となったが離脱して松山町に編入された
・高坂村(高坂村、早俣村、正代村、宮鼻村、毛塚村、田木村、西本宿村(旧:本宿村)、岩殿村)
・唐子村(上唐子村、下唐子村、神戸村、葛袋村、石橋村)
・野本村(下野本村、上野本村、柏崎村、古凍村、今泉村、下青鳥村、上押垂村、下押垂村)

1954年7月1日
比企郡松山町・大岡村・唐子村・高坂村・野本村が合併し、東松山市となる。