幸手市を探索しているつもりだったのだが、いつのまにか杉戸町に入り込んでいた。
歩いていると薬医門が見え、その隣に説明板らしきものが見えた。
こういうものが見えると確認したくなる。
ここではないが、同じような人がいるのだろう。
写真を撮りたいのだが、たまに一文字一文字確認するように読んでいる先客がいることがある。
早くどいてくれないかなあ。
写真撮りたいんですけど。
しばらく少し離れた所に佇み、どいてくれるのを待つ。
どかないなあ。
やっとどいてくれた。
と言いながら、自分も書いてあることを時間をかけて読むのであった。
左隣に畑があるのだが、そこで住民らしき人が作業をしており、そこに近くに住んでいるらしき人が来て話しこんでいた。
ちょっと門までの距離があり、近くまで行くのはためらわれたので、説明板は少し離れて所から撮った。
薬医門にも何かついているものはないかと遠目で見てみたが、なかったので、少々がっかり。
大島有隣生家
大島有隣は、宝暦五年(一七五五)大島村(現杉戸町大字大島)のこの地に生まれた。
大島村は、有隣の祖、大島右京亮義之が、下総国結城よりこの地に来て新田開発し、家姓を村名としたと伝えられている。
当時大島家は、旗本三宅氏の用人を勤める代々の名主であった。
有隣は、二十九歳の時江戸の心学者中沢道二の門に入る。三十一歳で恭倹舎を創建し心学を講義する一方、日本橋の参前舎に入門した。やがて心学の指導者として全国的に活躍するようになり、その生涯を心学教育に貢献しながら八十二歳で江戸にて没した。
大島家系図
義之—泰継—泰義—義照—義展(有隣)—義晁(有斎)—豊昌—照房—得郎—親貞—永行(当主) 定治
杉戸町教育委員会
その世界では著名な方なのだろうけれど、自分は知らなかったし、わざわざこれだけを見に来る人はいないのかな?
少しネットで調べてみたが、この大島有隣生家のことを書かれているものが見つからなかったので、当ブログで紹介することにした。
"心学"について調べていると石田梅岩(いしだばいがん)という名前が出てきた。この方なら歴史で習った気がする。その弟子に手島堵庵(てじまとあん)がおり、またその弟子にこの説明板にある中沢道二(なかざわどうに)がいる。つながりが見えてきた。
※心学とは
平民のための平易で実践的な道徳教のことで、様々な宗教・思想の真理を材料にして、身近な例を使ってわかりやすく忠孝信義を説いた。
たまたま通りがかっただけだが、偶然にこのような発見ができ、更に調べることによって知識の幅も多少であるが広がるのも探索の楽しみのひとつだろう。
と思うんですね。
訪問日 2023年11月27日