歩・探・見・感

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旧町名 江東区大島町

城東区の区域シリーズ第2回目の今回は、「大島町」を紹介しよう。

 

「大島」は何と読む?
「おおしま」?「おおじま」?

その答えは記事の最後に書いてある。

 

江東区大島町2の34

発見日  2021年6月5日

発見場所 東京都江東区大島二丁目

 

大島町八ノ二九一番地

発見日  2022年9月12日

発見場所 東京都江東区大島八丁目

古そうなアパートに設置されていた。

 

歴史

1889年(明治22年)5月1日
町村制の施行に伴い、東京府南葛飾郡および深川区横十間川以東)の以下の各町村が合併して大島村が発足。
全域
小名木村…天正年間(1573年〜1592年)に小名木川を開削した小名木四郎兵衛が拓いた村。
六間堀出村…もとは深川六間堀地区の各町の飛地
平方村…河内国枚方村(現在の大阪府枚方市)の出身者が開拓した村。
一部地域(カッコ内は残部の編入先)
深川本村(東京市本所区東京市深川区
中ノ郷出村(亀戸村)
猿江村(東京市深川区
大島村(東京市深川区
深川出村(東京市深川区
北本所出村(東京市本所区、亀戸村)
南本所出村(東京市本所区、亀戸村、砂村)
小梅村飛地東京市本所区、亀戸村)
須崎村飛地東京市本所区、寺島村、大木村)
亀戸村飛地東京市本所区東京市深川区、亀戸村、吾嬬村)
東京市深川区:深川下大島町の全域、深川上大島町の一部

1900年(明治33年)7月19日
大島村が町制施行して大島町となる。

1915年(大正4年)8月31日
15の大字名が整理統合され、大字一~八丁目となる。(小字は廃止される。)

1932年(昭和7年)10月1日
南葛飾郡全域が東京市編入大島町の区域は城東区となる。
大島町の大字一~八丁目はそのまま城東区大島町一~八丁目の八か町になる。

1947年(昭和22年)3月15日
城東区深川区と合併して江東区を新設。

1965年(昭和40年)
住居氏実施により、大島町一〜八丁目より大島1〜9が成立。

 

地名の由来

江戸時代の正保(しょうほう・1644~47)ごろ、海岸の低湿地を開発して村が作られ、約250年前の「元禄図」に初めてその名が出ている。当時比較的大きな島であったので、この地名がつけられたといわれる。

「大島」の呼び名は、弘化四年(こうか4ねん・一八四七)改版「江戸町鑑」(えどまちかがみ)に「大ジマ」と濁音で呼ぶよう強調しており、これは深川猟師町の一つの大島町と区別して、ここを「大ジマ」と呼んだのであろう。その後昭和40年の住居表示制度実施時に「おおじま」と読むよう決められた。