歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

埼玉県三郷市で発見した道路元標

三郷市の記事を書いたことがなかったので、訪問したことがないと思っていて、今回の訪問地にしたのだが、過去に撮った写真を調べたところ、2020年4月19日に訪問済であった。

3年も前のことなんて覚えていない。

その頃は、建物を撮りに行っていたようだ。(他人事みたいな書き方。)

今回は旧町名の探索など別目的なので、新たな気分で、三郷市へ向かった。

この日は(2023年11月28日)は、11月がもう終わるというのに、最高気温が21.5℃(さいたま市)と歩いていると暑いくらいだった。日傘は必須だった。

道路元標のことは事前に調べていくのを忘れ、探索中に急に思い出し、現地でどこにあるのか調べるはめになってしまった。

三郷市には2基現存していることを確認できたが、調査不足がたたって、それぞれたどり着くまでにずいぶん時間がかかってしまった。

①早稲田村道路元標

三郷市役所のすぐ近くにあると思っていたのだが、少し離れた三郷市わくわくライブラリー内にあった。

所在地 埼玉県三郷市谷口618-1



屋外展示スペース


見ての通り、郵便ポストを初め、色々なものが展示されていた。

他のものについては別の機会に紹介することにしたい。

説明板


旧所在地:仮資料館→旧郷土資料館 移設:平成26年
道路元標とは大正8年(1919) 旧道路法により各村に設置された標識。この元標は旧早稲田村役場付近(大広戸)にあった。

鬼瓦と苗字瓦は設置されていなかった。思い出して見ると郷土資料館内にあったような気がするが、その時は興味が湧かず、写真は撮らなかった。
今思うと、撮っておけばよかったと思うが、後の祭り。

正面



真上


以前は、三郷市郷土資料館の敷地内の門柱の脇に放置してあったが、市立郷土資料館の移設に伴い、この元標もここに移設された。

道路元標の大きさは道路法施行令では25cm角と定められていたが、この道路元標のサイズは30cm角、全長70cm。埼玉県に現存する道路元標の中で最も大きいものとのこと。(2024年1月18日追記)

歴史
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、丹後村、谷中村、後谷村、小谷堀村、駒形村、南蓮沼村、笹塚村、岩野木村、幸房村、茂田井村、大広戸村、仁蔵村、半田村、田中新田が合併して発足。

1956年(昭和31年)9月30日
彦成村・東和村と合併して三郷村が発足。同日早稲田村廃止。

②戸ヶ崎村道路元標
すぐには見つからず、随分先に進んでしまった。ネットに載っている写真を参考にして探すが、そんな場所は見つからない。

さらに調べているといなげやがある交差点付近にあるらしいことがわかり、来た道を戻る。

ようやく見つけた。

それは、とがさきクリニック(旧みさと耳鼻咽喉科医院)駐車場内にあった。

所在地 埼玉県三郷市戸ヶ崎2丁目38-2

塀やコーンの陰で目立たないところにあった。

ネットに載っている写真と違っていて、駐車場の塀は改修されていたので、余計分かりにくかった。



太陽の光でよく見えなかったので、日傘を利用して光をさえぎって撮った。

他人が見ていたら、何をしているんだろうと思うだろうが、そんなことはいちいち気にしていられない。

もしかしたら、駐車中に出入りする人の邪魔になっていたかもしれない。

真上

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、戸ヶ崎村、境木村、三九村、酒井村、長沼村、寄巻村、前川村、鎌倉村、前谷村が合併して発足。

1943年(昭和18年)7月1日
八木郷村と合併して東和村が発足。同日戸ヶ崎村廃止。

この後は帰途に着くのだが、スマホで駅までの時間を調べたところ、新三郷駅まで1時間40分、三郷駅まで1時間17分となった。

帰りは探索しながら新三郷駅から帰る予定にしていたのだが、遠回りがたたり、16時を回ってしまっていた。

探索するところにたどり着くまでには、暗くなってしまうので、三郷駅から帰ることにした。

空は暗くなり、雨が降りそう。

風も強くなり、歩くのが大変なくらい。

ひぇ~、帽子が道の反対の歩道まで飛ばされてしまった。

結構広い道なのに。

車に踏みつぶされずによかった。

結局雨には降られず、三郷駅に無事付くことができた。

道路元標探索中に、旧町名の痕跡も探したのだが、ひとつも見つけることができなかった。

だいたいは探索していると最低旧番地のものひとつくらい見つかるものだが、この日はボウズだった。

これは初めて級の体験であった。

ショック~。

再チャレンジを誓うのだった。