川越市を訪問した2日とも平日だったが、結構観光客がいた。
その観光客の合間を縫って、プレートを探し回る。そして、その写真を撮っている自分、すごーく違和感を感じる。
埼玉県川越市に現存する電力プレート5枚である。
①シギマチ-1
発見日 2021年12月27日
発見場所 埼玉県川越市松江町2丁目
旧志義町 現 仲町
志義町は昔鴨善吉という刀鍛冶が開いたので鴨町といった。この町から北の方にかけて昔は馬場があって城中の士が調馬した所と伝えている。その後明治年間には志義学校が開かれ、さらに穀問屋が軒を並べていて川越穀市の旺盛だった頃には志義町の穀市の初荷は関東でも有名なものであった。
②カヂマチ-1
発見日 2021年12月27日
旧 鍛冶町 現 幸町
鍛冶町は古くから川越城の刀匠などがいたところで「三芳野名勝図絵」によれば「小田
原属城時代天文・弘治の頃鍛冶平井某・相州より来りてここに住す」と記され、この頃に鍛冶・刀匠などが集ったのでついに町名となったと言われる。天正年間になると平井の弟子十余人がこの町に住んでいた。従って鍛冶の祭神である金山神社があり、毎年三月十五日にはふいご祭りのため川越町近郷の鍛冶工が集って祭りをしたと言う。この様な関係から川越祭りの山車の人形は三条小鍛冶宗近が選ばれている。
鍛冶町広場
鍛冶町広場
由来
この広場のある場所は、現在の町名である仲町になる以前は、『鍛冶町』という町名でした。
室町時代後期、鍛冶職人の平井某が相州(現在の神奈川県)から移り住み、その後弟子たちもこの町に住んでいたことにより、『鍛冶町』と言われるようになったと、江戸時代に書かれた「武蔵三芳野名勝図会」に記されています。
悪い癖だ。また細かいところが気になった。
A.「治」と「冶」
「冶」は「ヤ」と読み「ジ」とは読まないが、鍛冶を「かじ(かぢ)」と読む当て字は平成22年(2010年)に常用漢字表に追加され、公式な日本語として認められた。
B.「冶」は「ヂ」?「ジ」?
「現代仮名遣い」では原則として「ぢ」の仮名を使わず「じ」を使う。ただし「ち」が濁った場合であるときは「ぢ」と書く、という決まりがある。
なので、「ジ」が正しいはずだが、Aで鍛冶を「かじ(かぢ)」と読むとあるので、「ヂ」でもいいのだろう。
C.「鍛冶」と「鍛治」
「にすい」の「冶」、「さんずい」の「治」、違いはあるのか?
一般には金属の鋳造など普通名詞をふくめて「かじ」は鍛冶と書き、鍛治は人名や地名など特別な固有名詞の扱いとなる。
D.金偏に「段」で「鍛」?金偏に「叚」で「鍜」?
現在では鍛が常用漢字なので、公文書などでは「鍛冶」と表記して、「鍜冶」は使用しない。
従来日本では「鍜冶」と「鍛冶」が混同して使用されていたようだ。それは字体が似ているからだろう。鍜に金属を鍛える意味がないので、誤用のような気がする。
③サンクボ-7
発見日 2021年12月27日
発見場所 埼玉県川越市三久保町(さんくぼちょう)
東京電力川越支社(埼玉県川越市三久保町17-4)は「埼玉県電灯発祥の地」だ。
明治34年にこの地に埼玉県初の火力発電所が建設され、100kW発電機2台で川越市内に電力供給を開始した。その電力を使い、明治39年には川越〜大宮間を結ぶ電気鉄道が開通した。
④キタマチ-1
発見日 2021年12月23日
発見場所 埼玉県川越市喜多町
⑤マツエ?
発見日 2021年12月23日
発見場所 埼玉県川越市松江町2丁目
誰が、これが電力プレートだと思うだろうか?
しかし、自分は、しばらく佇み、老眼の目で電力プレートに間違いないと確信した。
ペンキで塗られたのだと思うが、それがひび割れていて、文字がはっきりと読めないが、「マツエ」か?
だとすると「上松江町」か?