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戸田村道路元標 埼玉県戸田市

戸田村道路元標をネットで調べていたところ、戸田市立郷土博物館に移設されたという情報があった。

元々は戸田市上戸田四丁目にある後谷公園の徒渉池の畔にあったそうなのだが、令和2年の郷土博物館の改修工事に合わせて同館内に移設されたそうだ。

 

そこで、2022年12月27日、戸田市立郷土博物館を訪問してきた。

 

郷土博物館は図書館に併設されており、その3階にある。

 

博物館の一角に戸田村道路元標が設置されていた。

 

戸田村道路元標

白い玉砂利に埋まっていた。

雨風にさらされることがなく、過酷な運命から解放された感じだ。

真上から見たところ

説明板

道路元標は、大正8年(1919)に公布された道路法で市町村単位での道路の起点終点や町村の位置を示す指標として義務付けられたもので、 戸田村にも設置されました。
この「戸田村道路元標」は、昭和40年代後半に道路工事をしていた時に地中から発見されました。現在の下戸田ミニパークと国道17号線をつなぐ道(戸田市でわずかに残っている中山道の道筋)に建てられていたものと思われます。
昭和27年(1952)に施行された新たな道路法により、大正時代に設置された「道路元標」は姿を消していくことになりました。

 

戸田市の歴史

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴い、北足立郡戸田村・下戸田村・新曽村の区域をもって戸田村が成立する。

1941年(昭和16年)6月1日
町制施行により戸田町となる。

1950年(昭和25年)4月1日
東京都板橋区に荒川右岸の大字上戸田の一部(約 0.2 km2)が移譲され、同区舟渡三丁目(現・四丁目の一部)となる。

1957年(昭和32年)7月20日
北足立郡美笹村と新設合併し、改めて戸田町が発足。

1959年(昭和34年)4月1日
旧美笹村北部の松本新田・曲本・内谷および堤外の一部が分離し、浦和市(現・さいたま市南区)に編入される。

1966年(昭和41年)10月1日
市制施行により戸田市となる。

 

元々設置されていた場所も気になり、2022年12月29日後谷公園を訪問してきた。

 

後谷公園(うしろやこうえん)

1981(昭和56)年、野球場の跡地に造られた公園で、現在では市内有数の貴重な癒やしの空間となっている。

 

徒渉池の畔にあったということなので、探してみる。

写真の中央付近に気になる石がある。

 

ここにあったのかな?

たぶんここだろう。

でも、なんでこんなところに移設したのだろう?

 

博物館で常設展示図録【リニューアル版】をもらっていたので、家に帰ってから見ていたら、コラム欄に道路元標が載っていた。

道路元標は、大正8年(1919) に交付された道路法で設置が義務づけられたものです。市町村単位での道路の起点・終点や町村の位置を示す指標となります。その後、昭和27年(1952) に施行された新たな道路法により姿を消していきました。
戸田村道路元標」は、昭和40年代後半に国道17号線沿いの道路工事現場から掘り起こされました。その場所は、戸田市にわずかに残る中山道の道筋にあたり、設置された当初は、戸田村の入り口という意味合いであったことが推察されます。発見後は、後谷公園の池の端に建てられていました。

常設展示図録に載っている写真は後谷公園にあった時のものであろう。

やはり、自分が後谷公園で確認した場所にあったようだ。

 

掘り起こされた場所の地図も載っていた。

できればここに戻してほしかったが、設置するスペースがなかったのだろうか?

上の地図だと現住所は下戸田2-11,12付近だと思われるのだが、下記の資料によると

埼玉縣告示第百十七號

道路法施行令第八條第二項ノ規定二依リ道路元標ノ位置ヲ左ノ通定ム
大正九年四月九日
埼玉縣知事 堀内 秀太郎

戸田村 大字上戸田字前谷1662番地先

と上戸田となっている。

下戸田ではないのか?

そこで下戸田二丁目の成立の歴史を調べてみた。

1970年、住居表示実施により大字上戸田字荒井前の全部と大字上戸田字前谷、大字下戸田字後・字鬼沢の各一部から下戸田二丁目が成立したとある。

ということは、下戸田2-11,12付近でいいようだ。

 

それでは、ストリートビューで調べてみよう。

見てみると、歩道があるので、設置できなくもないと思う。

実際、歩道の邪魔にならない場所に設置されているケースも見かけけるし、邪魔になるのではないかと思われる場所にも設置されているケースもある。
戸田市の場合は何か諸事情があったということにしておこう。

行方不明になっている道路元標も少なくない。

堀り起こした後、廃棄することなく、ちゃんと保存してくれている戸田市に感謝である。