歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

馬室村道路元標 村立馬室中学校の門柱 加藤政之助頌徳碑 in 埼玉県鴻巣市

道路元標を探し求めて探索していたのだが、予想外のところにそれはあったのだ。

周りに何もないところに突如道路元標が現れた。

右方向



左方向



目印となる消火栓や柳の大木があったはずだが、無くなっていた。

こんな状態では普通の人では気が付かないだろう。

まっ、もっとも普通の人はこういうものに関心ないだろうから、こんなところに来ないだろうし、気が付く以前の問題かもしれない。

それにしても何もないところだ。

以前この辺りには、何か施設があったのだろうか?

正面

読めないなあ。

仕方ない心の目で読んでみよう。

裏面



真上



馬室小学校の交差点から



次の目的地に行く途中。道路から石柱が見えた。

ふるさと総合緑道休憩施設 愛里巣(あいりす)



消えているが村立馬室中学校のものと思われる門柱



加藤政之助頌徳碑

以前は別なところにあったようだが、この施設ができた時に移設されたようだ。

安政元年(1854)7月滝馬室の旧家に生まれる。明治4年(1871)戸町を勤めたが、のち埼玉県庁に移った。辞職後慶應義塾に入学、同11年卒業して大阪新報社に入社、同13年県会議員に当選し、15年から8年間議長をつとめた。
同23年郵便報知新聞社に入社、1年間の欧米視察後、同25年衆議院議員に当選、以来政治家として活躍した。昭和2年貴族院議員に勅任され、ベルリンの万国議員会議へも出席した。
また、東上鉄道取締役や東京家畜市場社長をつとめたり、大正10年には、現・鴻巣高校の前身にあたる、武陽実業学校を開設するなど、実業界、教育界でも活躍した。
昭和16年8月2日、87才没。村立馬室中学校開校の功績を記念して昭和29年11月にこの碑が建てられた。

鴻巣市教育委員会

歴史
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴い、滝馬室村・原馬室村が合併し馬室村が発足。

1954年(昭和29年)7月1日
鴻巣町・箕田村・田間宮村・北埼玉郡笠原村と合併し、改めて鴻巣町が発足。同日馬室村廃止。

1954年(昭和29年)9月30日
鴻巣町が北足立郡常光村を編入して市制施行、鴻巣市となる。