歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名「芝公園第八号地一番」

4回かな、何度も訪問し、随分写真を撮ったのだが、中々満足できるような読み取りできる写真が撮れなかった。

これも満足できる写真が撮れたとは言えないが、ようやくどうにか読み取れるかなと思える写真が撮れたので、そのベストカット?を紹介することにしよう。

発見日  2023年12月2日(撮影日 2023年12月16日)

発見場所 東京都港区芝公園四丁目

下の方の「八号地一番」ははっきり読み取れるが、肝心の上部がうっすらなのが残念だ。

いろいろ加工してみたが、それほど変わらないので、そのまま撮ったままのものを出すことにした。

うっすらだけど読めるよね。

芝公園」の文字が。

よ~~く見てみよう。

これが"芝"で、これが"公"で、これが"園"、

浮き出てきたでしょう?

あ~~ら不思議。

過去に撮った写真を調べたところ、2021年1月23日に撮っていた。しかしその時は当然のことだが、旧町名のものだと気付いていなかった。調べることもしていなかったようだ。

芝公園は現存している町名だが、これは旧番地時代のものとなる。

下記の記事で紹介しているが、南桜公園にある二宮金次郎像には「第五号地」の町名が刻まれている。

citywalk2020.hatenablog.com



芝公園・歴史の1ページ 公園制度の誕生 太政官布達公園公園がまだなかった江戸時代、江戸は庭園都市とよばれるほどに多くの庭園がありました。しかしこれらは大名や旗本などの屋敷がほとんどで、江戸庶民にとって身近に楽しむことができた緑にふれあえるレクリエーションの場としては、寺社境内や徳川吉宗が設けた数少ない花見の名所などでした。
明治に時代が移り、新政府が打ち出した日本初の公園制度、明治6年(1873)の太政官布達第16号により、公園が誕生しました。その後、明治20年(1887)までに、江戸時代からの花見の名所や社寺境内など全国81箇所の公園が指定されました。
上野の寛永寺と共に江戸の名所だった増上寺を中心とした芝公園は、上野、浅草、深川、飛鳥山と共に、明治6年(1873)に東京で最初の公園として指定されました。徳川将軍家菩提寺増上寺の境内を取り込んだ形で公園化を図り、広大な敷地は1~25号地に区画されていました。現在も公園では号地のままで親しまれています。当初は増上寺の境内を含む広い公園でしたが、戦後に新憲法が施行され、 政教分離によって増上寺等の境内の部分が除かれ、現在の環状の公園になりました。

この説明板で公園の歴史が知れた。

2023年の今年は開園150周年に当たる。

下記の号地は現在振られているもの。



以前振られていた号地。



芝公園案内図



旧町名由来板


慶長三年(1598)、徳川家康によって現在の場所に移された三緑山増上寺の境内で、上野の寛永寺と並び称される江戸名所の一つでした。
一時、三縁山の名を取って三縁町と称されていましたが、明治六年(1873)、宮内省の管轄地となって公園地に編入され、芝公園と定められました。
有史以前より人が住む土地であったと考えられ、貝塚や古墳等が残っています。