歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

明壽院(伏見庚申堂)と旧町名「乙訓郡鴨川村」 in 京都市伏見区

伏見区を探索中に明壽院(伏見庚申堂)に立ち寄った。

訪問日  2024年1月5日

訪問場所 京都府京都市伏見区桝屋町614

明壽院(伏見庚申堂)


当山は真言宗醍醐派の寺院で光圓山 明壽院庚申堂と号し、庚申信仰の寺として地元では伏見庚申堂とも呼ばれている。
六十日に一度巡ってくる庚申の日の夜には、人々は寝ずに一夜を明かす「庚申待ち」を行った。言い伝えによると、人の腹のなかには三尸という虫がいて、庚申の日の夜に人々が寝静まってから体から抜け出る。そしてその人がしてきた悪事を天帝に告げに行き、それによって寿命が決まるといわれていた。そこで人々は三尸の虫が抜け出さないように寝ずに過ごした。庚申待ちにより、三尸の虫を封じ息災延命や心身共に清浄になることを祈願したのである。本尊の庚申尊は青面金剛を中尊とする夜叉達で、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿を眷属(神仏の違い)とすることで有名で、普段は厨子に納められ、御開帳は六十年に一度の庚申の年である。
寺伝によれば、創建は寛永十五年(千六三八)で、東山天皇の時代の元禄十一年(千六九八)には玉躰安穏祈願の勅許を受け栄えた。創建当初は隣接する住吉児童公園を含む一帯がその境内で大きな堂宇が並んでいたが、明治中期に本堂も含め取り壊されて縮小し、現在の本堂は当時の護摩堂が移築され、庚申尊を中心に諸仏・諸尊が祀られ、諸病平癒・女人守護の寺院として信仰を集めている。

こんにゃく封じ大祈祷会


「こんにゃく封じ」とは、心身にまとわりつく病や悩み、悪因縁を庚申尊の神通力でこんにゃくの中に吸い取って頂くもの。

門前の灯籠に旧町名「乙訓郡鴨川村」を発見。

京都市内は神社仏閣だらけだから、いろいろな旧町名を発見することができるかもしれない。

明治22年(1889年)4月1日
町村制の施行により鴨川村、志水村、菱川村、古川村から羽束師村が発足。