歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

「岸町二丁目町会」が製作した「岸二町内案内図」が実に興味深い。

2024年6月11日、東十条駅へ向かうため、岸町二丁目に入る。

何回も歩いたことがあるし、電車からもよく見える。

崖側は行き止まりの坂道や階段だらけ、その中で行き止まりではなさそうな坂があった。

行ってみよう。



突き当りの右側、先が見えない階段



突き当りの左側、先が見えない坂道(芝坂という名前らしい)

どちらを行く?

帰る途中で、この日は失望感に打ちのめされていたので、どちらも上がってみる気力がわかず、道を戻る。

東十条駅へ向かう階段を上ると案内板がある。


いつもは気にしないのだが、この日は見入ってしまった。

さっき上ろうとしなかった坂の場所を確認する。

この辺かな?

他に「八五号線予定地」と「トンネル」と書かれているのが気になった。

八五号線予定地?

調べてみると、1946年(昭和21年)に補助85号線が都市計画決定。そして、1985年(昭和60年)の新幹線整備にあわせて着工し、1995年(平成7年)に南大橋が完成したそうだ。
 
トンネルがあったの?

もしかしたらこのトンネルのこと?

明治時代から昭和にかけて、北区とその周辺には、陸軍の関連施設が数多く存在していました。その当時、これらの施設は、物資や人間を運搬するための軍用鉄道と呼ばれる専用軌道で結ばれていました。この辺りでは、板橋、十条の火薬製造工場と王子の火薬製造工場を結ぶ軍用電車が、チンチンと鐘の音を鳴らしながら、盛土の上を走っていたそうです。そのため、付近の住民は、この盛土を俗に「ちんちん山」という愛称で呼んでいました。
かつて、この場所には、ちんちん山の下をくぐる石積みのトンネルがありました。このトンネルの上部には、3個のだんごを三角形の形に並べ、その上に、もう1つだんごを乗せたような珍しいマーク(当時の東京砲兵工廠のマーク)が刻まれていました。現在、このマークを含め、トンネルの石積みの一部が園内でモニュメントとして使われています。

南大橋の高架下にあるちんちん山児童遊園



公園にある石積みのトンネルのモニュメント(向きが90度違うけどね)



東京砲兵工廠のマーク

案内図に書かれていたトンネルの遺構に出会うことができた。

凡例


まだ国鉄になっている。

国鉄が分割民営化されたのが1987年(昭和62年)4月だから、この案内板はそれ以前に設置されたものだろう。

「公衆」の見たことがない「衆」の字も気になる。

岸町二丁目があなたを誘っている。

武蔵野崖線とJR京浜東北線に挟まれたLabyrinthへようこそ。