歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

東京都立青山高等学校近くにある陸軍境界石と明治公園にある聯隊跡

新国立競技場方面からスタジアム通りの右側の歩道を歩いていると、青山高校がある。



校門の先の道を右へ曲がり、道沿いに歩いていく。

右側は青山高校のテニスコート

突き当りの電柱の右下に石柱が覗いていた。



正面



右側面



真上



左側面

ここに文字が刻まれているはずなのだが、読めない。

電柱の隙間から撮ってみる。

左半分しか撮れず、なおかつボケていて、判読不能

撮れないのかなあ。

この日は、次の予定があり、切り上げて、先を急ぐ。

家に帰ってから一人で作戦会議。
作戦は決まった。

2024年6月6日、別件で近くに来たので、再チャレンジすることにした。

青山高校では体育祭が開催されていた。

開催の様子を撮るわけにはいかないので、その賑やかな現場の横を通り過ぎる。

作戦を決行する。

作戦と言っても、ただ、スマホを近づけただけだが。

文字が見えた!



さらに近寄ってみる。

これでバッチシかな。

任務完了。

近くのお宅で紫陽花が咲いていた。


この付近ではこの境界石しか現存していないようだ。

場所が場所だけに、撤去されてしまう可能性は低い。

窮屈な思いをさせることになるが、未来へ歴史を伝えていってほしい。

青山高校の沿革を見ていこう。

昭和15年(1940年)
東京市赤坂区青山北5丁目 東京府青山師範学校跡地に「東京府立第十五中学校」として、東京府立第十四中学校内に設置

昭和18年(1943年)
都制施行にともない「東京都立第十五中学校」に改称

昭和20年(1945年)
戦災で校舎焼失、都立第六中学校、現東京都立新宿高等学校校舎内に移転

昭和21年(1946年)
東京都赤坂区青山北4丁目 旧東部第七部隊跡に移転

昭和23年(1948年)
東京都立新制青山高等学校設置、東京都立青山中学校と併設

昭和25年(1950年)
東京都立青山高等学校に改称

昭和33年(1958年)
校舎を現在地、渋谷区神宮前二丁目に竣工移転

現在の青山高校、国学院高校付近は近衛歩兵第4連隊の兵営があったところだ。

都立明治公園の一角にはかつてこの地に青山練兵場があったことを伝える近衛歩兵第四聯隊、第六聯隊の石碑が並べて設置されている。

近衛歩兵第四聯隊跡

近衛歩兵第四聯隊は、明治30年5月24日 明治天皇から軍旗を親授されて創設された。
大東亜戦争後、聯隊出身者からなる錦紫会会員一同相計り相資し遺跡を永久に記念してこの碑をこの地に建立して東京都に寄贈する。
 昭和40年5月 
  錦紫会有志

近衛歩兵第六聯隊跡

近衛歩兵第六聯隊は大東亜戦争の戦局急を告げる昭和18年の5月14日臨時編成を下令され同年6月はじめ竹橋において近衛歩兵第一聯隊第三大隊を中心に全国からの選抜将兵を以て編成された。
 聯隊は同年6月28日以降この青山に駐とんし将兵三千、日夜武を練り禁閥守護と首都の防衛に任じつつ大戦に参加しこの地において終戦を迎えた。
 昭和46年2月11日
  元近衛歩兵第六聯隊有志一同