歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

港区立一ツ木公園のカエルと赤坂TBS放送センター南公園の21世紀カウントダウン時計

を歩いていたところ、確かこの階段のどこかにカエルがいるはずだということを思い出した。
登って確認してみよう。

訪問日  2023年10月5、14日

訪問場所 東京都港区赤坂五丁目


こんなところにいた。

階段の一番上から下を見下ろしたところ



こちらは2022年9月27日に訪問した時に撮ったもの。



公園附近沿革案內

この公園の附近は、江戸時代、広島藩松平(本姓浅野)家の下屋敷であった。
一ツ木の地名は、むかし、奥州街道がこの地を通過し、人馬の往来が絶えない。 それで人継村といったのを鎮守氷川神社の神木が一本の銀杏の大木であったことから、 一ツ木と読み改めたという説などがある。
この高燥の台地には、維新後、明治26年5月20日、近衛歩兵第三聯隊が移転してきた。赤煉瓦3階兵舎は町の名物でもあった。
この公園の部分は、その聯隊に隣接する近衛歩兵第二旅団司令部跡である。 その後日清、日露をはじめ、いくつかの戦争をへて、昭和20年この台地の聯隊が姿を消したのちは、現代を象徴する東京放送などの登場となった。昭和34年3月25日港区立公園として開園した。

訪問日  2023年10月5、14日、2024年4月11日、6月1日

一ツ木公園の階段の脇を人が歩いていた。

通路のようだ。

どうなっているのだろう?

壁にクモの絵が描かれていた。

ちょっと不気味。

更に歩を進める。

ここは何だ?

動いていないアナログ時計があった。

下はデジタル時計のようだ。

アナログ時計の文字盤が漢数字、とてもよろし。

20年間以上止まったままらしい。

時計の支柱の上部が「21」になっていた。

21世紀という意味とのこと。

朱色は神社の鳥居を、黄色は僧の衣をイメージして作られたそうだ。

裏側


こちらも時計は止まっていた。

文字盤はローマ数字になっていた。

時計からコンクリートの水路が続いていた。



最後は池に注いでいた。

20世紀美術の巨匠フンデルトヴァッサー(1928~/美術家・建築家)の作品。デジタル表示は2001年の1月1日までの残り日時分秒を逆算表示する。アナログ時計は表示盤の東面に漢数字・西面にローマ数字を配し、それぞれが日の射す国・日本、日の入る西洋を表現している。
循環する水の流れは時の流れと人生を表象し、また水と緑は地球環境の象徴でもある。柱と柱の空間は、大小の生き物と人間の世代になぞらえている、この時計は現世の暗喩である。

ATTENTION



1992年12月30日から放送されたTBSの番組“元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ「ずっとあなたに見てほしい 年末年始は眠らない」 ”のために制作されたものとのこと。

オーストリアの世界的芸術家・フンデルトヴァッサー製作による、21世紀(2001年1月1日午前0時)までの残り時間を示すモニュメント。時計は緑山スタジオ・シティ(横浜市青葉区)に設置され、時計の前での学生によるパフォーマンスが行われた。

時計は、21世紀までの残り時間を表示するデジタル部分と、現在時を示すアナログ時計の2つから構成されており、アナログ時計の文字盤は親日派としても知られるフンデルトヴァッサーの意向で、漢数字で記されている。また、時計の台座部分は小さな池と芝生から成っており、時計の上から池の部分へ水が循環されている。

39時間の放送中は、イベント以外にもCM前や天気予報のコーナーなどで随時、時を刻む模様が中継された。

この時計は1994年10月、TBS放送センター完成とともに、正面玄関南側の南公園と呼ばれる庭園に移設された。なお、2001年を迎えたため、残り時間を示すデジタル表示の部分は動いておらず、アナログの時計のみが現在の時間を表示していた。

その後はアナログ時計が故障したまま長い間放置されていた状態だったが、2021年10月に始まった『THE TIME,』で「香川照之の赤坂にホタルを呼ぼうぜ!」と題して、庭園をホタルが生息する環境に整備するとともに時計の再生を目指す企画が行われていた。しかし、香川の不祥事による降板で企画が自然消滅し庭園は手付かずのままになっている。

2024年4月11日の様子

桜が咲いていた。



2024年6月1日の様子

アジサイが咲いており、ビワの実がなっていた。

更に進むとベンチにBooBoとBoonaが座っていた。

以前はウルトラマンもいたそうだが、いなくなっていた。

残念。

2024年4月11日