歩・探・見・感

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旧町名 東京府下大井町

この建物は何だ?
以前も見たことがあるはずだが、全然記憶にない。
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この大きな切妻屋根と風合いを感じる下見板張りの建物は関東大震災1923年(大正12年)の翌年に建てられた「八木合名会社仙台味噌醸造所 」の建物だった。

 

近寄ってみると木製の仙臺味噌の商標看板が置いてあった。

発見日  2021年11月25日(撮影日2021年11月25日、27日)

発見場所 東京都品川区東大井4丁目

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右側を見てみると旧町名が書いてあった。

東京府下 大井町」「東京府 下大井町」どっちだ?

調べてみた。

1889年(明治22年)5月1日
町村制の施行に伴い、大井村が単独村制。

1908年(明治41年)8月1日
大井村が町制施行して大井町となる。

1932年(昭和7年)10月1日
荏原郡全域が東京市編入大井町の区域は品川区となる。

1943年(昭和18年)7月1日
東京府東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。この時、品川区、荏原区を含む35区は東京都直轄の区となった。

1947年(昭和22年)3月15日
品川区が荏原区と合併し、改めて品川区を設置。

1964年(昭和39年)
住居表示により大井・南大井・東大井・西大井が成立した。 

これで「東京府下 大井町」であることはわかった。

東京府大井町」と省略されているが、正確には「東京府東京市品川区大井町」と思われるので、この看板は、1943年以前に製作されたものだろう。

 

仙臺味噌
仙台下屋敷があった江戸時代、郷土の味を欲する仙台藩士のため、仙台から輸送された大豆を使って仙台味噌を醸造するため屋敷内に作られたもので、現在も仙台味噌の醸造・販売を行っている。
ネットを見ていたら、味噌がおいしいと評判だったので、購入しようと思ったが、再訪した2021年11月27日は土曜日だったので営業日ではなかった。残念。

 

入口に掲げられている老舗看板

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「味噌」の「噌」の文字を単独で見たら読めない。「そ」の変体仮名だろうか?

 

ガラス越しに見える当時使われた味噌樽
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昔の小売用の味噌の容器だろうか。味噌が入っていたら重そうだ。

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商標は「まるご」で、丸の中に漢数字の五がデザインされている。
由来は「伊達家から質屋と味噌を引き受けた5人」にちなんだものらしい。

 

仙台坂
第一京浜国道国道15号線)を青物横丁で分岐して、JR大井町駅に向かう道路。坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことや、坂上に仙台味噌の工場があったためこのような坂名になったといわれている。もともと仙台坂は、この坂の南方、海晏寺(南品川五丁目)と泊船寺(東大井四丁目)との間にある坂名だった。のちにこの坂の方が道幅が広くなり、交通量が多くなったため坂名が移転したもの。ちなみに、もとの仙台坂は「旧仙台坂」または「くらやみ坂」と呼ばれている。
(参照:品川区ホームページ)

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下屋敷があれば、上屋敷もあったのかと調べてみた。

仙台市のホームページなどによると、仙台藩は品川区大井の下屋敷のほか複数の江戸屋敷を所有していた。幕末に近い1841年の時点で6カ所の屋敷があった、という。  江戸城に近かった、港区東新橋1丁目の日本テレビ本社敷地内には、上屋敷が。江東区清澄1丁目の隅田川沿いには深川蔵屋敷があった。屋敷南側の堀を利用して仙台から送られた米などを江戸に運び入れたことから、仙台堀と呼ばれた。JR御茶ノ水駅周辺の神田川の開削工事を、仙台藩が行ったことから、こちらもかつて仙台堀と呼ばれた。
東京新聞TOKYO Webより)