歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名&琺瑯住所プレート 中野區大和町一三八番地

何回目だろう?

以前は、この付近をむやみに探していた。

家に中野区の古地図があることを忘れていた。

これでほぼ場所を特定することができた。

現地に飛ぶ。

ようやく発見することができた。

最初発見した方はすごい。

こんなところにあるものをよく気が付いたものだ。

住所が分かっていても発見できないかもしれないようなところにあった。

 

だが、遠すぎる。

近くまで行くには、危険すぎる。

あそこまで行くと、不法侵入になるかもしれない。

勇気がないので、いやそういう問題ではない。

こういう場合は、お住まい方に事情を説明してお願いすればいい。

表札ではないのでお願いすれば撮らせてもらえるだろう。

と思ったが、別な方法に走ってしまった。

秘密兵器を購入したのである。

というほど大したものではないが、自分ではそういう扱いなのだ。

一応スマホで撮って、拡大してみたのだが、投稿できるレベルではない。

スマホの限界を感じ、秘密兵器を購入を購入したのだ。

手頃な秘密兵器があったのである。(手頃というのはリーズナブルなこと。)

 

秘密兵器を使用して撮ったものがこれである。

 

発見日  2022年4月30日(再訪日2022年5月21日)

発見場所 東京都中野区大和町3丁目

慣れない秘密兵器だが、よく撮れた。

 

歴史

明治2年
武蔵知県事(県知事ではない)管轄地となる。
多摩郡品川県編入される。
 品川県 二十一番組 中野村 本郷村 本郷新田村 雑色村
           新井村 上沼袋村 下沼袋村
  〃  二十二番組 片山村 江古田村 上鷺宮村 下鷺宮
  〃  二十三番組 上高田村(新井村 上沼袋村 下沼袋村)
     (品川県誌では上沼袋村は二十三番組に入っている)
東京府 品川県 二十三番組 上沼袋村枝郷大場村
 (品川県での正式地名かどうかは不明)
 

明治4年
廃藩置県にともない品川県 小菅県 武蔵知県事管 轄地は廃され、東京府に吸収される。

明治5年
多摩郡東部(含中野地区)は神奈川県へ移管される。

神奈川県 多摩郡 上沼袋村枝郷大場村
 (神奈川県での正式地名かどうかは不明)

多摩郡の32ヶ村(中野の12ヶ村 上沼袋村含む)は陳情し、東京府に戻る。

明治11年
郡区町村編成法が交付される。
東京府は市内15区、市外6郡となる。
多摩郡東多摩郡となる。

市内15区
麹町区 神田区 日本橋区 京橋区 芝区 麻布区 赤坂区 四谷区 牛込区 小石川区 本郷区 下谷区 浅草区 本所区 深川区
市外6郡
荏原郡 南豊島郡 北豊島郡 東多摩郡 南足立郡 南葛飾郡

東京府 東多摩郡 上沼袋村枝郷大場村

明治22年 市制及び町村制が施行され、東多摩郡は2村となる。
 中野村 … 中野村 本郷村 本郷新田村 雑色村 4村
 野方村 … 江古田村 上鷺宮村 下鷺宮村 新井村 上高田村
 上沼袋村 下沼袋村(片山村は江古田村へ吸収) 7村
 東京府 東多摩郡 野方村大字上沼袋村 
 枝郷大場村の呼称は無くなる 旧村は大字で表示される
明治29年 東多摩郡南豊島郡と合併して豊玉(豊多摩)郡となる。
 (多摩 玉どちらが正式地名かは不明)
 東京府 豊玉(豊多摩)郡 野方村大字上沼袋村
 
中野村は明治30年に中野町となる
野方村が野方町となるのは大正13年(中野村の27年遅れ)

明治31年
東京府は市内15区を東京市とする(東京府東京市××区)

大正13年
野方村が野方町となる
東京府 豊玉(豊多摩)郡 野方町大字上沼袋 
 
昭和7年
東京府東京市15区に加え隣接5郡82町村を併合、35区を発足
新発足の20区
品川区 荏原区 大森区 鎌田区 渋谷区 目黒区 世田谷区 淀橋区 中野区 杉並区 豊島区 板橋区 王子区 滝野川区 荒川区 向島区 城東区 江戸川区 葛飾区 足立区 

中野区は豊多摩郡中野町と豊多摩郡野方町が合併して発足した。
旧中野町60町 旧野方町18町の計78町(丁目毎に1町と計算) で発足した 中野区が発足した時 従来の町名が変更される。
野方町大字上沼袋は 沼袋南2丁目、3丁目と変更される。 

東京府 東京市 中野区 沼袋南 2丁目、3丁目 
 (現在の八幡通りより北が3丁目 南が2丁目)

沼袋南の地名に反対運動がおこる 町名は「大場」にして欲しいとの猛烈な陳情が繰り広げられ沼袋南2、3丁目は「大場」と決定する。

東京府 東京市 中野区 大場 ・・丁目 

正式交付直前の大場に又もやはり反対運動が勃発する。
再協議 住民投票 など実施され新しく「大和町」が再提案され東京市議会もこれを採決 (大場から大和町へこの間約3ヶ月) 

昭和9年5月1日
大和町誕生 

東京府 東京市 中野区 大和町 ・・番地

昭和18年
東京府 東京市の行政区分が一本化され 東京都となる。 

昭和22年
東京都35区が22区になる。
地方自治法制定により東京都に集中していた行政権を区に移行する 為と各区の人口均一が目的であった(区が多すぎたので減らす)。
 第一案11区 中野区は新宿区と池袋区(新設予定)に分割される。
 第二案 12区 〃 杉並区に吸収される。
 第三案 22区 中野区は存続する(町名変更なし)。 
第三案が可決され22区で発足。

昭和40年
昭和37年施行の住居表示法が実施され 大和町は4分割され1丁目~4丁目となる(地番は・・番・・号へと変更される) 。

東京都 中野区 大和町 ・・丁目 ・・番 ・・号 

環七道りの開通に伴い 大和町・野方・若宮・鷺宮の一部 町名の変更が行われる。
環七の東側の大和町は野方に、環七の西側の野方は大和町編入される。
併せて妙正寺川の北側の大和町は野方と若宮に、川の南側の鷺宮大和町になった。
 
大和町」に「町」が付いた理由 
住居表示法で行政側は「町」を付けない方針であったが「大和」だけでは日本各地の大和と混同する上、歴史上の大和のイメージが強すぎるのであえて「大和町」として欲しい、との住民の陳情が通った結果である
(昭和40年 野方町は 野方となる)

(参照 大和町 町名の歴史 大和町文化財を守る会)

 

地名の由来

「新旧住民が大きな和を以て発展させよう」という心意気を表した。「だいわ」が「だいば」に韻が似ること、軍国華やかなりし時代、日本を表す言葉であることも考慮された。

 

大和町の表札は数枚撮ってあるのだが、整理ができていないので、別な機会に紹介することにしよう。