宮代町の最寄り駅も東武鉄道の東武動物公園駅だ。
東武動物公園駅の東口の大落古利根川までが宮代町で、川を越えると杉戸町になる。
駅前一番街にある「てんぷら かっぱ」の店先に置かれていた。
たぬきの置物はよく見かけるが、かっぱの置物は初めて見た。
左手に持っているのは、随分長いが、きゅうりだろうか?
たぬきの置物に特徴的な目・顔・腹・徳利・通帳・金袋・尾には、それぞれ意味があり「八相縁起」と呼ばれている。
このかっぱの置物もその中の3つの特徴は供えられていた。
・徳利:飲食には困らず(商売が上手くいく)人徳を持てるように努める
・腹 :冷静さと大胆さを持ち合わせる
・金袋:お金を自由自在に使えるほどの金運に恵まれる
さて本題に入ろう。
「中島」という町名は現存町名だが、(仮番地)とおそらく未確定の番地が記載されているので旧町名扱いとした。
このような(仮番地)と記載されている表札は初めて見た。
「宮代町字中島1」以降は白いペンキのようなもので消されたようだが、はげ落ちてすべて見えるようになっている。
発見日 2021年12月2日
発見場所 埼玉県南埼玉郡宮代町中島
ネットで調べてみると、保留地の場合や区画整理のため仮番地を設定する場合があるようだが、表札に記載する必要があったのだろうか?
歴史
1889年(明治22年)4月1日
南埼玉郡百間村・百間東村・百間中村・百間金屋原組・百間西原村・百間中島村・蓮谷村が合併し、百間村が成立する。南埼玉郡須賀村・和戸村・西粂原村・東粂原村・国納村が合併し、須賀村が成立する。
1955年(昭和30年)7月20日
南埼玉郡百間村と須賀村が合併し、宮代町となる。
上に出てくる町名「百間」は何と読むかわかるだろうか?
「ひゃっけん」?「ひゃくま」?
答えは「もんま」だ。
宮代町百間の街区表示板を見てもらおう。
街区表示板の色としては珍しい赤紫色だ。
「ブドウ色」、「巨峰色」、「ローズピンク」、「宮代町の春の桜と秋の巨峰を混ぜた色」と人によって色の言い方が異なっているのが面白い。
地名の由来はいつもお世話になっている「レファレンス協同データベース」に掲載されていた。
『埼玉県地名誌』(韮塚一三郎著 北辰図書 1977)
p488 「百間」の項目あり。アイヌ語との関連記述あり。
「百間の名は湖沼よりおこるとみられる。マがアイヌ語の湖沼の意であることは柳田国男氏がすでに指摘したところである。(中略)北海道地名の紋別(モンベツ)のモンはアイヌ語の「モ」、静かなの意である(「地名アイヌ語小辞典」)。このように解するとき紋別が静かな川であるのに対して、百間は静かに水をたたえた沼の意となろう。」とあり。
宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料の以下の資料にも記載があったので、一部引用しておく。
刊本閲覧
宮代町史 通史編
第二編 中世
第三章 鈴木雅楽助(うたのすけ)と百間
第二節 百間の在地領主鈴木氏
百間の地名については、行基(ぎょうき)菩薩が当地を舟で訪れた際に、上陸した地に地蔵尊を安置し、ここから神外(じんが)の地(聖域)までの距離をはかったところ一〇〇間あったことによる(高野村誌稿)といったような伝承が残っているが詳細は明らかではない。
埼玉県地名誌に記述されているものと全然違う。
諸説あるということにしておこう。
「百」を「もん」と読むことがあるのか調べてみたが、調べた限り見つからなかった。
それではと、百間以外で、全国で「百」がつく地名が他にもあるのかと調べてみたところ、結構あることが分かった。
ひゃく 東京都新宿区百人町(ひゃくにんちょう)
びゃく 栃木県今市市小百(こびゃく)
しゃく 宮城県栗原郡一迫町六百刈(ろくしゃくかり)
は 茨城県つくば市百家(はっけ)
ほ 秋田県本荘市百部岡(ほどおか)
ほど 宮城県遠田郡田尻町百塚(ほどづか)
す 静岡県天竜市下百古里(しもすがり)
ずん 愛知県海部郡蟹江町百保(ずんぼ)
ど 山形県山形市百目鬼(どめき)
どう 愛知県西加茂郡小原村百月(どうづき)
と 岐阜県岐阜市百々ヶ峰(山名)(とどがみね)
とう 石川県七尾市松百町(まっとうまち)
もも 石川県金沢市百坂町(ももさかまち)
も 栃木県那須塩原市百村(もむら)
もう 岡山県加賀郡吉備中央町百坂(もうざか)
お 岐阜県加茂郡八百津町(やおつちょう)
よ 和歌山県日高郡川辺町三百瀬(みよせ)
ゆ 茨城県水戸市百合が丘町(ゆりがおかちょう)
奈良県北葛城郡広陵町百済(くだら)
大阪府堺市中百舌鳥町(なかもずちょう)
大阪府高槻市西五百住町(にしよすみちょう)
京都市中京区百足屋町(むかでやちょう)
読めるのもあるが、読めないものがほとんどだ。
漢字の読み方は奥深い。
特に地名、人名はいろいろな読み方があり、難しい。