歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

電力プレート カグラ6-2

「ヨコデラ-1」の電力プレートを発見した後に発見した。
むしゃむしゃした気持ちは、これを発見したので、ようやく落ち着くことができた。

これを撮る時は、先ほどの件があったので、周囲の目を気にしながら、少し緊張気味に撮った。

 

発見日  2022年5月25日

発見場所 東京都新宿区神楽坂6丁目

分かりにくいが、「カグラ」と刻印されている。

黄色のプレートだ。

普通の色を「青色」と言っていいのかわからないが、色の違いは何か意味があるのだろうか?

まだ未紹介だが「オダワラ」の電力プレートは2色ある。

何故だ?

ワカラナイ

このブログを訪問される方は、電力プレート業界にも所属していると思うが、「みちくさ学会」さんの「あなたの知らないデンリョクの世界」を一読されていると思う。

えっ!

知らない?

それはもぐりだ。

とは言わないが、読んだことがない方は、httpsになっていないのが気になるが、一読をお勧めする。
「あなたの知らないデンリョクの世界(その1)
「あなたの知らないデンリョクの世界(その2)
「あなたの知らないデンリョクの世界(最終回)

それにも色については言及されていない。
いずれ色の違いを解明したいと思っている。

ドウヤッテ?

ワカラナ~イ

 

歴史

1871年
牛込通寺町

1911年
通寺町

1951年(昭和26年)
神楽坂六丁目

 

地名の由来

「神楽坂」の名称の由来について、『江戸名所図会 巻之四』(天保7年)によれば、この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれる。 また、「改撰江戸志」 (原本は残っておらず成立年代は不明だが文政以前にすでに存在が確認されている) には、津久戸明神が元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されている。

 

以下は「てくてく 牛込神楽坂」を参照させていただいた。

歴史博物館「新修 新宿区町名誌 地名の由来と変遷」(平成22年、新宿歴史博物館)には
JR飯田橋駅西口から、牛込台地に上る坂で、坂下から大久保通りまでは江戸時代から神楽坂という名称で呼ばれていた。
明治4年(1871)6月、この地域一帯に町名をつけたとき、この神楽坂からとって神楽町としたが、旧称どおりの神楽坂で呼ばれていた。
しかし昭和20年(1945)の空襲で、焼け野原と化した。昭和26年5月1日、坂上の三町も含めて神楽坂と称することになり(東京都告示第347号)、北の赤城神社入り口まで名称統一され、四・五・六丁目ができた。
この町名変更に当たって、関係町民からも町名を神楽坂に統一する陳情書が区議会に提出された。その理由は、下宮比町と上宮比町が混同されやすいこと、肴町は隣区の肴町と誤認されやすい等が挙げられた(昭和30年新宿区史)。

上に記載がある陳情書は昭和30年「新宿区史」の766ページに次のように記載されている。

陳情書
江戸名所図絵や江戸砂子などに残る古き牛込村は、丘陵起伏する武蔵野の一部、往昔は放牧の地であったとさえ、ある記錄は伝えている。徳川時代に入ってようやく人煙を増すに至ったものの『神楽坂』と『牛込』との限界はすこぶる不明確のまま、その名のみ人々の意識の中に深く刻まれて今日に及び明治初期の行政区画によって丁目と町名とは一応整ったが、坂上下宮比町としばしば混同される上宮比町がありこれに接して隣区肴町と誤認され易き牛込肴町が横たわり更に西方へ数丁通寺町が伸びている等捕捉に苦しむ所が多い。これがため行政区画とは別に肴町、上宮比町、通寺町等の住民は、数十年来『神楽坂通り』と云う総称を用い、大衆もまたこれを肯定して日常の要務を弁じている。殊に通寺町の如きは戦災に遭って全町焼土と化するや、直ちに『大神楽坂商店街』と誇示するに至った。神楽坂より六、七丁をへだたった通寺町においてさえかくの如き実状であるため、関係町民と他区域より来訪する人々とが日常の生活上や取引上幾多の煩雑不利を招きつつあるとは枚学にいとまなき所、どこよりどこまでが神楽坂か何人も明答すること能わざるのが現実である。
数百年来、あまねく知られた名を慕ふのは人情の常、その名を襲用して宣伝価値の昂揚を図るは商業者として当然の帰結、神楽町、上宮比町、肴町、通寺町等に居住する区民が行政区画上の町名を斥け、現実に即した『神楽坂何丁目』と左記の通り町名改称を熱望するに到った事は全く自然の趨勢であり土地発展の永久的対策というも断じて過言ではありませぬ。しかもこれが実現の暁、利便を享受するものはひとり関係住民のみでない事も瞭かであります。
神楽坂附近一帯の堅実な復興と発展とを期し、あわせてひろく都民相互間の利益をもたらす本件実現のため、何卒格別の御明鑑を仰ぎ、一日も速かに御採択願度くひたすら御願申上げます。
さらに関係各町住民の連署を以て陳情致します。
 (変更前の町名)    (変更後の町名)
  神楽町 一丁目     神楽坂一丁目
  同   二丁目     神楽坂二丁目
  同   三丁目     神楽坂三丁目
  上 宮 比 町     神楽坂四丁目
  肴     町     神楽坂五丁目
  通  寺  町     神楽坂六丁目

 

インスタで「デンリヨク」で検索してみたら、未見のものがいくつかあった。
これはそれらにはなかったものと思われるが、「デンリヨク」探索は、結構大変だ。
中央の数字は「地番」らしいが、その地番が現在のどこにあるのかを特定するのが自分にとっては難しい。
戦前の古地図がある区もあるのだが、それでは役に立たないこともある。
設置されている建物を一緒に掲載してくれる方が多いので、その建物を頼りにストリートビューで探すという、結構地味な作業をしている。

発見したものは目撃情報があったものがほとんどだが、それでも事前調査に時間をかけ、現地まで徒歩でいく。残念ながら、消滅していることもある。
そうやってやっと出会えたものばかりである。
順次紹介していこう。