まだ残っているのか?
不安な面持ちで、現存している思われる場所に向かう。
発見日 2022年5月26日
発見場所 東京都新宿区西新宿8丁目
これらの標識の下あたりにそれと思われる石があった。
それは歩道と車道の境界すれすれのところの植え込みにあった。
よかった、まだ残っていた。
正面から見たところ。
道のしんにゅう部分の一部分と「路元標」の文字が残っている。
欠けた部分には「淀橋町道」とあっただろう事が想像できる
通常「道路元標」の字は毛筆体であるが、これは珍しくゴシック体で、モダンな雰囲気を漂わせている。
関係ないけど「しんにょう」?「しんにゅう」?
どっちだ?
辞書で調べてみると、
【しんにょう】
之繞。しんにゅう。
【しんにゅう】
之繞。漢字の部首名の一つ。「通」「遊」などの「辶」の部分。しんにょう。
「しんにょう」の意味に「しんにゅう」とある。
そして、「しんにゅう」の意味に「しんにょう」とある。
つまり「しんにょう」も「しんにゅう」も、漢字の部首である「辶」の意味で同じだ。ちなみに、漢字では「之繞」と書く。
「之繞」の読み方は「しにょう」が正しいが、これが変化して「しんにょう」となった。
だから「辶」は、元々は「しんにょう」となる。
元々「しんにょう」がなまって「しんにゅう」という読み方も定着したといった見方が強いようだ。
そして、現在では、「しんにょう」「しんにゅう」どちらも正しい、とされるのが一般的だそうだ。
漢字の勉強は終わり。
上部はどうしたんだ?
不明
以上
裏側から見たところ。
「京」の字の下半分と「府」が読め、欠けた部分には「東京」とあったことが想像できる。
正面から見た時はそれ程の角度には見えなかったが、平行ではなく、斜めになっている。
右横
当たり前かもしれないが、何も彫られていない。
左横
こちらも当たり前かもしれないが、何も彫られていない。
真上
破断面は長い年月の風雨雪によりすっかり滑らかな表面となっている。
道路と歩道を隔てる防護柵は、道路元標を意識して設置されていると思われる。
2005年頃の写真を見ると歩道のない道路だったようだ。道路元標はそんな道路の角にあった。
2009年頃の写真は、この道路元標が建っている三叉路の両側で進められている再開発工事風景だった。
道路元標は3本のカラーポールに守られていた。
道路元標の新宿よりは住友不動産が、道路元標の中野坂上よりは三菱地所が、それぞれビルを建設中だった。
現在は新宿フロントタワー、新宿グランドタワー(ラ・トゥール新宿グランド)となっている。
新宿フロントタワーの下を見てほしい。
(21)が逆さまだ。
誤植か?
どうでもいいこんなところに気が付く。
道路元標は新宿グランドタワーの現在位置の左側の交差点付近にある。
撤去しなかったということは、住友不動産がこの道路元標に理解があったのかもしれない。
植え込みに設置されたままなので、亡失する可能性は低いと思われる。
しかしだ。
大正時代の豊多摩郡淀橋町時代に設置され、令和の今日まで生き延びてきた「淀橋町道路元標」。
新宿の街の発展をずっと見守ってきた道路元標だ。
この道路元標は23区内の道路元標で唯一の設置当時のものであるにも拘わらず、 完全に忘れ去られた存在となっている。
「説明版」設置するなどして厚遇してあげても良いのではないろうか?
新宿区に問い合わせしてみようか?
でも自治体はあてにならない。
以前、文京区に問い合わせたことがあるのだが、無視された。
問い合わせ方に問題がある?
そうかもしれないが、その時は保存をお願いしただけなのに。
それでも、ダメもとでお願いしてみようかな。
この日の歩数 38,911歩
以前から探していた電力プレートがようやくストリートビューで見つかりかったので、秋葉原駅付近から笹塚駅付近まで歩き、中野区、新宿区を探索後、新宿駅から帰宅。
順位 113/2,348
1位 194,606歩
1日でこんな歩けるはずない。
と思って調べていると、振り子、スインガーというものの存在を知った。
これを使えば、1時間当たり1万歩は可能らしい。