歩・探・見・感

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電力プレート ヨコデラ-1&登録有形文化財 一水寮(いっすいりょう)

発見日  2022年5月24日

発見場所 東京都新宿区横寺町

これを撮った後、細い路地に人が入っていくので、通り抜けられるのかと思い、ついていくと、古い建物があった。

 

そこにある登録有形文化財のプレートが目に入った。

えっ!

こんなところに登録有形文化財があるのか!

これがその建物。

リヤカーが立てかけられていた。

写真を撮っていると後ろから「何やってんですか!人の家の中、撮っているんじゃないですよ。!」と男の声が。
「人の家の中なんか撮っていないですよ!」と言い捨てて、折角、偶然、登録有形文化財を発見したのだが、後味悪く、その場を立ち去ったのであった。

登録有形文化財を撮って何がいけないんだ!
こいつは、いや失礼、この野郎は、ではない。このおっさんは、これが登録有形文化財であることを知っているのか?
賃貸か分譲か知らないけれど、マンションに住んでいるあんたにいくつかの試練を乗り越えたこの建物の良さは分かるのかと問いたい。
確かに自分の家を撮られるのはいいかと聞かれれば、いいとは言えないが、文化財の建物は撮られる運命にあるのではないだろうか?
思い出すとむかつく。
と思ったが、今後の戒めとしよう。
写真を撮る場合は、後にも目があることを。

この辺りの写真を撮る時は、後のマンションにいるおっさんの目を注意しよう。
日中にいたので、休みの日か定年生活を送っているのかわからないが、気を付けよう。

いけないいけない、このくらいでめげていたら、この業界では生きていけない。
気にしない、気にしない。
でも、このように言われたときの対応方法を考えておかなければならない。
「すみません。」と言って、素早く逃げるのが一番かな。

他の方もこのような注意されたことがあるのだろうか?

忘れていた。
あっ!この建物を紹介しないといけない。

 

文化遺産オンラインより

一水寮(いっすいりょう)
神楽坂の裏通りに、大工寮として昭和前期に建つ。材に贅を凝らしたものではないが、鑿、手斧の大工技法が格子や意匠梁の随所に見られ、当時の大工の技能を高さを現在にあらわす。戦後復興した神楽坂の町並みを構成し、裏通りの景観形成に寄与している。

昭和中/1951頃/1955頃改修
木造2階建、鉄板葺、建築面積96㎡
1棟
東京都新宿区横寺町31-13
登録年月日:20130329
森永商事株式会社

 

横寺町がメインなのに、あいつのせいで、忘れるところだった。

横寺町は「町方書上」で「町名之起り者通寺町之横町二候間、横寺町与唱候」
と書かれている。

新宿歴史博物館の『新修 新宿区町名誌』ではこれを受け、
横寺町(よこでらまち)
牛込横寺町 町名は通寺町(とおりてらまち)の横町であったことに由来する。
と、「横寺町(よこでらまち)」は通寺町(とおりてらまち)の横町だとしている。

『新修 新宿区町名誌』によれば、明治44年に横寺町になった。ここでは「よこでらまち」とふりがながついている。

「横寺町」は「よこてらまち」「よこでらまち」どちらで読むかは、はっきりしていないようである。

 

歴史
1878(明治11)年11月2日
東京府牛込区に所属。

1889(明治22)年5月1日
東京府東京市牛込区に所属。

1943(昭和18)年7月1日
東京都牛込区に所属。

1947(昭和22)年3月15日
東京都新宿区に所属。

 

田山花袋『椿』(大正15年版)という随筆集におさめられている文章の一節に横寺町について書かれているものがある。
「横寺町の通りは、山の手で名高い旨いどぶろくを売る居酒屋、墓地を隔てて紅葉山人の二階…。明治23、4年頃から34、5年まで、私はこの通りを何んなに歩いたかも知れなかった。恋にあこがれたり、富貴にあこがれたりして、時には失望の心遺るに場所がない為めわざわざ其処に出て来たりした」

居酒屋が今もあるのかわからない。
墓地は長源寺のことだろうか?