歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

琺瑯町名看板 東京都青梅市

今回、青梅市を再訪問した目的のひとつ、最大の目的といっていいだろう、それは①の琺瑯町名看板を発見することだった。

「悠久の思い出」さんに掲載されている画像では、蔦が看板を覆っているので全然読めず、以前訪問した時も探しようがなかったので、ずっと気になっていた。
道からはほとんど見えなかったと思われるので、よくこれを発見したなと感心することしきりだった。

自分が発見した琺瑯町名看板を「悠久の思い出」さんに掲載していただいていることでつながりができたので、情報をいただけるか確認してみた。

すぐにご連絡いただき、快く情報をいただくことができた。

教えていただいてから少し時間が経ってしまったが、ようやく青梅市を訪問することができた。

調べたところ、以前、レンタル自転車はあったようだが、無くなっていた。

奥多摩町にある琺瑯町名看板も一緒に探索したかったのだが、それはあきらめた。

バスで行けることは分かっていたが、自分の場合は徒歩が原則なので、青梅駅を降りて、歩いていく。
まっすぐ行けば40分位で行けるのだが、いつものように寄り道しながらだったので、1時間くらいかかってしまった。

ストリートビューで見ると、絡みついていた蔦がほとんど取れていて、道路から見れるようになっていたが、現地に着くまで、消滅していないだろうか、また蔦が絡みついていないだろうかととても心配だった。

現地に到着。

よかった、邪魔な葉っぱが少しあったが、無事を確認することができた。

 

青梅市日影和田342

発見日  2022年10月27日

発見場所 東京都青梅市和田一丁目

モジャハウスだと思っていたが、実際に訪問してみると、隣には大きな蔵があり、立派な塀に囲まれた素晴らしいお屋敷だった。

秘密兵器を持って行ったが、スマホでも問題なく撮れた。

と思ったが、撮った写真をよく見ると、少し薄くなってしまったような感じだ。

折角持っていたのだから、秘密兵器でも撮っておけばよかった。

 

さて、「日影和田」という旧町名が気にならないだろうか?

日向和田」という町名は残っているのに、「日影和田」は消滅してしまったのは何故だろう?

多摩川の北側で山の南斜面側にある側を「日向和田」と呼び、川の南側で北斜面にある側を「日影和田」と呼んでいた。
明治の大合併のときには、日向和田村は青梅町に、日影和田村は吉野村へ合併され、別々の自治体であった。
ともに同じ青梅市になった現在では、日向和田日向和田のままだが、日影和田は和田町となっている。

もう少し詳しく歴史を辿ってみよう。

1598年(慶長3年)
日向和田村と日影和田村に分村

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、下村三郷、畑中村、日影和田村、柚木村が合併し神奈川県西多摩郡吉野村が成立する。日影和田村は大字日影和田となる。

1893年明治26年)4月1日
西多摩郡南多摩郡北多摩郡とともに東京府編入する。

1943年(昭和18年)7月1日
東京都制施行。

1955年(昭和30年)4月1日
三田村、小曽木村、成木村とともに青梅市編入する。大字日影和田は吉野地区に属する。

1967年(昭和42年)6月
梅郷地区に新町区域指定、町名変更実施。大字日影和田は和田町一丁目・和田町二丁目に変更。
この時に「日影和田」ではイメージが良くないので「和田町」になったようだ。

「日影」は「日陰」と書かれていた時期もある様だが、詳細は不明。

 

②と③は以前訪問した時に発見済だったので、現存を確認してきた。

 

青梅市青梅335

発見日  2020年11月26日

発見場所 東京都青梅市上町

 

青梅市西分110

発見日  2020年11月26日

発見場所 東京都青梅市西分町

左側のひもが邪魔だが、以前訪問した時はなかったような気がする。

薄い数字の3が見えるので、消して110に書き直したのだろう。

書き直した理由を考えてみた。

1.町名地番整理が実施された。
2.元々は別な場所にあったのを、この場所に移動した。
3.その他

1の形跡は発見できなかったので、2かと思ったが、1の形跡が発見できないだけかもしれないし、3のそれ以外の可能性もあり、結論付けられない。

「西分」(にしぶん)の地名の由来はもともと勝沼と呼ばれていた地域の西側を分け分村した事が始まりのようだ。新編武蔵風土記稿に「前略、古、此辺ハ総テ勝沼ト言シガ、後、分村ナリシ時、云々」とある。
慶長年間(1596~1614)の書物には「西分」の地名が文書に表されている。
後に、青梅市の地名を音読みから訓読みにするようにとの指導があり「にしぶん」から「にしわけ」に改称したらしい。

 

④青梅162

前回訪問時も発見できず。

消滅した可能性が高い。

 

「青」の旧字体である下が円の「靑」が使用されている。

このような旧字体が使用されているとすぐ反応してしまうのが悪い癖だ。
その結果、たいした内容の記事も書けないくせに、調べることに夢中になってしまい、記事の投稿が遅くなってしまう。

画数も変わっていないので、「靑」のままでもよかったと思うのだが、なぜ「青」になったのだろう?

「靑」と「青」両方が使用されていて、「青」に統一されたのか?

昔から「月の青」で書かれてきたらしいので、「青」に統一されたような気がする。

魚の「サバ」は「鯖」と下が円の「靑」だ。

これは何故?

新字体旧字体」というのは、「常用漢字の一部と、一部の人名用漢字」に該当する漢字にしか、存在しない。
つまり、青には旧字体新字体があっても、鯖には旧字体新字体もないということによるようだ。

 

広告主について

①③山崎醤油株式会社

電話番号が1桁の9番になっている。

師岡から移転しているようなのだが、その住所は民家になっているようだったので、廃業したのだろうか?

②伊東電機

現存を確認できず。