歩・探・見・感

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元帥伯爵東郷平八郎謹書の「牛島神社」の碑と旧町名「松倉町」

言問橋を渡ったところ、道路沿いに東郷平八郎元帥謹書の「牛島神社」の碑があった。

 

碑が建っている下の石を見ると「松倉町」と彫られている。

 

裏側に何か彫られているのが見えた。

 

それを見るために入口と思われる細い隙間を入って、灯籠の間を通るとたどり着くことができた。

この写真だと左奥が入口となる。

 

裏面

 

右側面

町会創立発起人が彫られている。

 

左側面

昭和五年十月建之

 

裏面

上に松倉町沿革とある。

 

文学博士 吉田静致

明治5年7月25日(1872年8月28日)~ 昭和20年(1945年)10月4日

1898年東京帝国大学哲学科卒業。1899年文部省留学生となり、ドイツ、イギリスで倫理学を学び、1920年に帰国して東京高等師範学校教授となった。1919年「倫理学の原理に関する研究」で文学博士号を得て、東京帝大教授を兼任した。1925年 帝国学士院会員に推され、1928年倫理学会初代会長に就任し、日本の倫理学の発展に指導的役割を果たした。   

 

大堀佐内書

大堀佐内について調べてみたが、情報は見つからなかった。

 

調べた限りこの碑について書かれたものは見つからなかったので自分で書かれている文字を確認してみることにした。

上半分

下半分

本町一帯ノ地域ハ旧幕臣肥前島原城主松倉豊後守ノ開拓ニテ邸宅ヲ造営セシ所ニシテ元禄八年ノ頃ヨリ人家漸ク多ク松倉ノ二字ヲ取リテ町名ト為スニ至レリ明治四年三之蔵橋通ノ以西ヲ一丁目トシ以東ヲ二丁目トセリ 五人組制廃止セラルルヤ町ノ有志専ラ警衛祭祀等ノ事ヲ○任シテ住民ノ便益ヲ計リシガ町勢大ニ発展シ人口稠蜜ヲ加フ 至リ自治機関ヲ設クルノ必要ニ迫ラレ明治三十年五月町会ヲ創立シ町民相互ノ親睦ヲ進メ安寧ヲ保チ大正十年三月町会ノ制度ヲ改メ和衷協同益々自治ノ精神ヲ発揮シ福利ノ増進ヲ旨トシ円満ナル町政ヲ施行シテ現時ニ至ル偶々大正十二年九月一日稀有ノ大震火災基因セル区画整理ノ為メ町名変更セラレ遂ニ松倉ノ名ヲ冠スル本会ヲ解散スルノ止ムナキニ至ル仍テ其沿革ヲ録シテ記念トナス

確認できない文字があったが、どうにか解読できた。

 

歴史

1871年明治4年)11月
区域改正の際、本所三之橋通りを境として、西を一丁目、東を二丁目とした。

1878年明治11年)11月2日
郡区町村編制法により、東京府本所区が成立。

1889年(明治22年)5月1日
東京府東京市本所区

1930年(昭和5年
帝都復興計画の一環により、東駒形三・四丁目、厩橋三・四丁目に編入となり消滅。

1966年(昭和41年)
住居表示実施により東駒形三・四丁目、本所三・四丁目となる。

 

地名の由来

大和五条藩松倉豊後守の下屋敷があったことから。