歩いていたら、今まで気が付かなかった小さな公園があった。
訪問日 2023年3月2、4日
錦三会児童遊園(錦三会子供遊び場)
片隅にいろいろ気になるものが並んでいた。
正面
錦三会子供遊び場
1949年(昭和24年)5月3日
右側面
よい子 強い子 役立つ子
左側面
ごじいんがはら跡
ひらがなで彫られているが何だろう?
筑波山神社の別当(神宮寺)に信吾知足院中禅寺があり、その別院として湯島に江戸別院が存在した。元禄元年(1688)徳川綱吉のとき、この地に護持院として移転され、五万坪の敷地に七堂伽藍が造営された。享保二年(1717)大火により焼失し、江戸城に隣接しているため、以後護持院ヶ原と呼ばれる火除け地となった。護持院は護国寺(文京区大塚)に移転されたが、明治維新の神仏判然令の際に廃寺となっている。
傾いた石碑
なんと書いているのか読めない。
左側面
昭和三十一年江戸築城を記念し建之
それほど古いものではない。
安田のおじいちゃんの木
安田規工次氏
昭和29年8月20日の毎日新聞に「遊び場にお手軽青空劇場」という題名の記事があり、その中に安田規工次(当時74歳)さんの名前があった。もしかしたら、その方が記念に植樹された木なのかもしれない。
置かれている石に丸に十の字が彫られている。
島津氏の家紋だろうか?
この公園に設置されている上記で紹介した石碑等については、確かな情報を見つけることができなかったが、公園の成立については以下の情報が見つかった。
2013年12月14日の新聞の記事
東京都千代田区のオフィス街の一角に「バリケード」で封鎖された小さな児童公園がある。土地を所有する地元町会が喫煙やごみのポイ捨てなど利用者のマナー違反に反発しているため。大人のモラル低下が都会の貴重な遊び場を奪った形だ。閉鎖を続けるしかないのか--。住民たちは頭を悩ませている。
公園は錦町三丁目町会が土地を所有する「錦三会(きんさんかい)児童遊園」(同区神田錦町、124平方メートル)。町会の有志が資金を出し合って土地を購入し、戦後間もない1949年に区立の児童遊園として開園した。一角にはその経緯を刻んだ石碑がある。地域の住民に親しまれ、閉鎖後も子供の遊び場として紹介しているホームページもある。昭和30年代後半には800近かった町会の世帯数も今では10世帯以下、子供もわずか4人に減った。「昔はこの公園で紙芝居や人形劇の会が開かれていた」と町会長の前田智彦さん(51)は振り返り、会計部長の倉田茂樹さん(62)も「紙芝居を見に行くと牛乳やあんパンをもらえるのが楽しみだった」と懐かしむ。
前田さんや倉田さんによると、一つの「転機」は2002年だった。区が、路上喫煙やたばこのポイ捨てをした人に過料を科す全国初の罰則付き条例を施行。子供の減少に伴い、うんていなど遊具を撤去して椅子やテーブルを設置したことに加え、オフィスでの喫煙を制限する動きが出てきたこともあり、公園での喫煙が目立つようになった。
町会は当初、喫煙や飲食を容認していたが、次第にたばこの吸い殻や弁当の空き容器が捨てられたり自転車やバイクが放置されたりするようになった。千代田区の協力で、張り紙などで再三注意を呼び掛け、清掃やパトロールを続けたが、改善は見られなかった。
「なんとかしてほしい」と頼られた区も人を常駐させる余裕はなく抜本的な対策は難しいのが実情で、町会はやむなく閉鎖を決定。8月末、公園の周囲にロープを張り、区がフェンスで囲った。公園への立ち入り禁止を知らせる張り紙には 「飲食・喫煙者のマナー不足は目に余る」 と書かれている。
「マナーを守って利用してくれた人には申し訳ないが、限界だった」と倉田さん。区道路公園課は「町会の要望を聞いたうえで、今後の整備の在り方を考えたい」としているが、再開は決まっていない。
現在は閉鎖されておらず、花も植えられ、きれいになっている。
梅の花が咲いていた。
ほぼ無名の公園だと思うが、謎のものがいくつも設置されている公園だった。