歩・探・見・感

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光林禅寺の満開の桜と旧町名「麻布區富士見町」

2024年4月4日、帰ってから知ったことだが、東京の桜の満開宣言が発表された。

平年より4日遅く、去年より13日遅い発表だった。

東京の桜の満開が4月にずれ込むのは2017年以来で、7年ぶりの遅さとなっている。

気象庁によると、靖国神社にある標本木の約8割以上が咲いた状態となった最初の日を満開日と定義しているという。標本木に関してはまだ咲いていないつぼみもあり、満開から1週間から10日くらいは楽しめるとのこと。

開花宣言前日の状況は下記の記事で紹介したが、満開の状態も見たいので、明日(2024年4月6日)にでも行ってこようかな。

citywalk2020.hatenablog.com


結構桜の写真は撮っているのだが、あまり紹介していない。

桜だけだと写真を載せるだけになってしまい、面白くないので、何か組み合わせるものがあれば、記事にしてみようと思う。

訪問日  2024年4月4日

訪問場所 東京都港区南麻布4丁目

明治通りを歩いていると、桜が見えたので立ち寄ってみた。

あいにくの曇り空だったのが残念。

こういう日のことを花曇りというのだろう。

そしてこの記事を書いている今日(2024年4月5日)は花冷え。寒い。

見事な桜であった!

あっぱれ!!

ここは都内の隠れた桜の名所のひとつと言ってもいいだろう。

調べてみると、江戸末期の絵入り年中行事記である「東都歳事記」に立春より54、5日目頃に開花する彼岸桜の名所のひとつとしてこの寺が紹介されていたそう。

「東都歳事記」は天保9(1838)年刊。神田雉子町名主の家に生まれた国学者・斎藤幸成(月岑(げっしん))の手による。月岑は、祖父・父から受け継いだ江戸地誌の決定版『江戸名所図会』の編纂事業を完了・刊行させた人物。

水鉢に映る桜と浮かぶ花びら。



静神養氣と刻まれた掲揚台


「静神養氣」は大正年間に岡田虎二郎氏が書かれた書物からきているのだろうか?    

裏側を見ると、

昭和十八年五月二十七日建之

麻布區富士見町第二部一同

と刻まれていた。

掲揚台に旧町名が刻まれているものを見かけることがあるが、これにも旧町名「麻布區富士見町」が刻まれていた。

かなり前に「麻布區富士見町」と書かれて表札を発見していたことを思い出した。

どこにあったかよく覚えていなかったが、たまたま通った道にあり、現存を確認できた。

発見日 2021年1月30日

町名の由来

盛岡町の台地が古川へ望む傾斜地で富士山がよく望見できたといいます。元禄(げんろく)11年(1698)、将軍家の別荘である白銀(しろかね)御殿(麻布御殿、富士見御殿などともいう)ができました。富士見町の名は明治5年(1872)につけられましたが、白銀御殿の別名富士見御殿にちなんだものだといいます。