以前(2020年3月31日)訪問して写真を撮ったはずなのにGoogleフォトで検索してみると、見つからない。
おかしいなあ。
スマホの位置情報をオフにしていた時に行ったのかなあ。
記憶が非常にあいまい。
ネットで調べてみるが、はっきりした場所が特定できなかった。
ストリートビューでも調べてみるが、見つからなかった。
仕方ない、現地に行って確認するしかない。
訪問日 2024年2月26日、4月1日
蓮田駅に到着。
まず、下記の記事で紹介した蓮田駅西口付近にある鉄道遺産を見学する。
階段を降りたところに、「はすだ散策」という案内板があった。
以前訪問した時もあったのだろうけれど覚えていない。
そこに武州鉄道跡が記載されていた。
武州鉄道は、1924年に蓮田~岩槻間が開業しまし た。開業当初の駅は蓮田と岩槻しかなく、その間を15分で走っていました。運行本数は当初7往復で、運賃は20銭でした。JR蓮田駅の東口にある現在の駐輪場を武州鉄道蓮田駅として、そこから延びる線路は、中央公民館裏の駐車場を通り大きく左にカーブしながら南に進んでいきました。根ヶ谷戸公園の東に位置するあたりでのくぼ通りを渡りそのまま竹林に入っていきます。ここは現在も軌跡が残っている場所で、竹林を抜けたところにある材木店の端に「馬込車站建設碑」が立っています。
写真を見て、こんな場所だったかなあ?と記憶をたどる。
た、たどれない・・・。
東口へ向かった。
事前調査したところ、駐車場付近に武州鉄道跡の説明板があることがわかっていた。
駐輪場からの入口が閉ざされていて入れない。
/(^o^)\ナンテコッタイ
仕方ない、道路に出て、中央公民館がある通りに出て、駐車場に行ってみる。
途中までは行けたのだけれど、柵があって、中には入れない雰囲気。
車一台分くらい通れる隙間があったので、近くに寄ってみると、警備員が来て「入れませんよ。」言われる。
「あれを撮りたいだけなんですけど。」と言うと「何かあったらいけないので。」と断られる。
もう舗装が終わっており、危ないわけはないのだが、言うことに従うしかない。
目的物は確認できたので、写真を撮っておく。
発見場所 埼玉県蓮田市東6丁目
閉鎖は2月29日までと書いてあったので、工事が終わってから行こうと思って、ホームページを見たら、「中央公民館の駐車場は、令和6年3月22日まで工期を延長して駐車場整備工事を行っております。」と書かれていた。
一ヶ月近く延長だって。
どういう計画を立てていたのだと思ってしまうが、しょうがない。
しばらくたってからホームページを見ると、「令和6年4月から、有料の市営第1駐車場として供用を開始します。」とあった。
3月23日からではないんかいと思ったが、しょうがない。
ホームページで再延期されていないことを確認して、2024年4月1日エイプリルフールの日、満を持して再訪する。
大丈夫だった。
確認したかったのがこの説明板だ。
武州鉄道跡
明治四十三(一九一○)年の軽便鉄道法の公布により、埼玉県東部地区にも新たな鉄道計画の動きがありました。明治四十三年十一月五日の中央軽便電気鉄道株式会社の設立です。
この鉄道計画は川口を起点とし、岩槻、和戸、幸手を経由し栗橋に至る路線で、将来的には日光に至る計画でした。しかし、大正元(一九一二)年には国鉄の蓮田駅を経由し菖蒲、騎西、忍に至る路線、騎西から分岐し羽生に至る路線に変更されました。同年十一月二十九日には、川口~岩槻間(二〇.九㎞)の工事施工が認可され、第一期線の工事が着手されましたが、工事施行認可満了日までに工事が終わらず、さらに工事延期が繰り返されました。大正四年(一九一五)六月十五日には、資金繰りの関係から岩槻~蓮田間の工事を先に行うことに方針を変更しました。
大正八年(一九一九)八月十五日には地方鉄道法が施行されます。これは、軽便鉄道法と私設鉄道法を廃止し、私有鉄道に対する統制・監督のための法体系の整備を行ったものです。
大正十三(一九二四)年十月十九日には、「武州鉄道株式会社」と社名を変更し、「蓮田~岩槻」間の工事が竣工され、武州鉄道が開業しました。その後、昭和三(一九二八)年十二月二十五日には、「岩槻~武州大門」間、昭和十一(一九三六)年十二月三十一日には、「武州大門~神根(現川口市)」間が開通しました。しかしその後の延伸計画は進まず、昭和十三(一九三八)年八月二十二日、武州鉄道は経営難で営業が廃止されることになりました。
蓮田駅周辺では駅東口第一駐輪場にホーム跡が、現在の宇都宮線から分岐する部分は蓮田市中央公民館駐車場として活用され、平成二十六年十月三十日蓮田市指定文化財(史跡)にも指定されました。
武州鉄道予定路線図
武州鉄道 機動車
駅東口第一駐輪場
市営第1駐車場(旧中央公民館駐車場)
中央公民館脇に線路跡の面影を偲ぶことができると書かれているものがあるが、すっかり整備されてしまい、面影もない。
しいて言えば、一方通行の矢印がある道がそれを示しているように見えるかもしれない。
駐車場出口付近
正面に見える歯科病院の黄色い建物が武州鉄道の蓮田駅 - 馬込駅間の廃線跡だそうだ。
馬込駅があった付近に行ってみた。
地図を見るとこのガラス店を直進している。
抜けた辺りの現況。
笹が生えている右側は施設の駐車場。
その奥を見ると、フェンスが張られていて、行けそうもない。
笹林の左側の手前は開けているが、先は竹林が広がっている。
奥にサクラ?が咲いていた。
案内板に「竹林を抜けたところにある材木店の端に立っている。」と書かれていたの覚えているだろうか?
道路から竹林が見えたので、入れそうな道を探してみる。ここからなら行けそうだ。
空き地に出たが、記念碑はなかった。
この先のようだが、林を抜けられそうな道はない。
以前撮った方の写真を見ると、竹林の間に道があるようなのだが、竹や樹木が成長して閉ざされてしまったのかもしれない。
旧122号に出る。
調べたところ、この材木店付近にあることまでは分かっていた。
材木店がある付近にはどう見てもありそうもないので、あやふやな記憶を頼りにこの材木店の道路を挟んだ反対側を探索する。
ない。ない。ない。
なくなってしまったのか?
戻って、竹林の周りの道路を歩いてみる。
随分離れてしまったような気がする。
しばらく歩いているとほぼ1周してしまった。
先ほども歩いた道だが、その時は気が付かなかった。
奥の方に見える空地に目をやると石碑らしいものが見えた。
老眼だが、最近計測した視力は1.2だった。
数年前計測した時は1.0なかったのだが、今回はよく見えて、数値が上がっていた。
勘が当たっただけかも知れないが・・・。
ようやく再会することができた!
ここで、馬込停車場の歴史に触れておこう。
昭和6年1月22日、蓮田駅・河合停車場間に馬込停車場を新設し、2月1日より開始している。
官線蓮田駅と接した蓮田駅を出た武州鉄道は、左に弧を描いてスギ林の中をくぐり、馬込の県道を越える。
その県道との交差点に踏切番を設けたので、後に馬込の停留所を設けることになった。駅主は踏切番と兼務で、トイレと待合所とホームが進行左側にあった。
統計資料
再発見日 2024年2月26日
発見場所 埼玉県さいたま市岩槻区大字馬込
こんなところにあったんだ。
でも、バラバラになっていた。
前回発見した時もこのようにバラバラになっていた記憶がある。
しかし、前回はどうやって見つけたのか、全然覚えていない。
もしかしたら、見つけていなかったのか?
なぜこんな状態になってしまったのだろう?
そして、なぜここのまま放置しているのだろうか?
いろいろと疑問がわくが、まず観察しよう。
側面
裏面
賛助者氏名が30名分刻まれている。
左側には祠が見える。
本来であれば、左の方から来れるはずなのだが、道はあったのかな。
その時は、写真を撮るのに夢中で、それを捜査することには頭が回らなかった。
上から細かく見ていくことにしよう。
ネットで調べた限りでは何が刻まれているかわかるものがなかったので、自分で解読を試みた。
劣化していて、旧字体も交じっているので、正確には読み取れていないかもしれない。
上部
馬込
建
車站
②左側上部分
昭和六年二月一日
武州鉄道が廃止されたの昭和13年(1938年)だから、それ以前に設置されたことが分かる。
③左側下部分
玄米食
松葉食 翁 富三
守釜益
工 事 主 任 長島 汎
玄米食、松葉食、守釜益は何の関係があるのか意味不明?
玄米食は分かるが、松葉食って何?
調べてみると、日本には松葉食の文化が古くからあり、長く健康のために活用されていたらしい。明時代の薬学書には「松を服すると強壮になり、歯を固め、目や耳をよくし、瘡を治し、久しく服すれば身軽く、不老延年となる」と書かれていたらしい。
へぇ~。
調べてみたところ、玄米や松の種子をおいしく食べる方法やカマドの火持ちを良くするフタを考案したりして仙人のような富三老人が馬込に居り、停留所の設置にも頼まれもしないのに勝手に世話を焼いていたとのこと。そして、建設碑にも名前を入れないとうるさいので、この方の名前が刻まれたということらしい。
④下部分
停留所
設碑
功労者
区長代理 小川原仙松殿
旧地主 杉山興三郎殿
隣地主 小川原小輔殿
有志 仝 幾右衛門殿
仝 八十七殿
仝
刻まれている方を調べてみたが、情報は見つからなかった。
ストリートビューの航空写真
左側の駐車場の上あたりから旧122号を横切って右下側の草地に斜めの線のように見えるが、この辺りが鉄道跡だったらしい。
ここが旧122号に出るところ。
道路は旧122号。
その先はこんな感じ。
言われなければ気が付かないだろう。
岩槻散策マップ12 河合地区「平林寺跡・武州鉄道跡を歩く」に載っている写真は、この辺りを写したもの。
地図に書かれているが、木製サインがないので、素人が見つけるのは難しいかもしれない。
この辺りに木製サインが設置されるようになれば、わかりやすくなるだろう。
岩槻区にある武州鉄道関連の設置済の木製サインは下記の記事で紹介している。
2016年4月に発行された岩槻区市民活動ネットワークだより「はぴネット」 第12号にのっていた馬込車站建設碑は、修復跡がみられるが、こんなバラバラにはなっていなかった。
いつ、そしてなぜこんなに姿になってしまったのだろう?
調べてみると、いつかは分からなかったが、ブルトーザで乱暴に移動されたかららしい。
このバラバラになった馬込車站建設碑については、さいたま市岩槻区に何か対策をする予定があるのか聞いてみようかな。
蓮田市と一緒にやればいいと思うのだが、どうなのだろう?
設置されている場所は私有地なのかな?
そうなると難しいのかもしれない。
ここに来るための足となる旧122号にあるバス停「馬込」、2024年2月26日、お知らせが貼ってあった。
蓮11系統、蓮12系統廃止のお知らせ
最終運行日:2024年3月31日(日)
本系統は、運輸業界全体で大きな課題となっております運転者の不足に鑑み、やむを得ず上記日付をもって運行を終了することとなりました。
長年ご利用いただいたお客様には深く感謝申し上げます。
◎路線バスに関するお問い合わせ
国際興業バス さいたま東営業所 048-812-1577
乗合タクシー導入のお知らせ
運行開始予定日:2024年4月1日(月)
乗合タクシー(定員数10名のワンボックス車両で運行する公共交通) を同系統への導入に向けて、地域と連携し、準備を行っております。
◎乗合タクシーに関するお問い合わせ
さいたま市 都市計画部交通政策課 048-829-1054
国際興業株式会社
2024年4月1日、予定通り乗合タクシー乗り場になっていた。
2024年4月16日、下記の本を借りてきた。
①武州鉄道-岩槻市史(通史編)より抜粋-
出版社 岩槻市立郷土資料館
②武州鉄道
著 者 風間 進
出版年月 2001年3月
③幻の武州鉄道
著 者 郷奇智
出版社 岩槻地方史研究会
出版年月 1976年11月
②の128ページに馬込車站建設碑のことが書かれていたので、2024年4月17日加筆修正
する。
2024年5月1日追記
4月17日、さいたま市の岩槻区役所/区民生活部/観光経済室に下記の問い合わせをする。
①馬込バス停はなくなっており、4/1より乗合タクシーになっています。
マップの改定は予定されているのでしょうか
②武州鉄道跡の馬込車站建設碑の上部がバラバラになっていますが、修復する予定はあるのでしょうか?
予定がおありなら、蓮田市のはすだ散策にも掲載されているので、蓮田市と連携を取られて進められるのもいいのかなと思っています。
③木製サインの設置の計画はあるのでしょうか?
この地図でたどり着けるのは自分のようなマニアしかいないと思います。
4月30日現在回答がない。
そんな変な問い合わせではないと思うが、急いではいないと書いたものの、ここまで回答がないということは、無視されてしまったのだろう。
すぐ返事をもらえる自治体もあるが、このように無視されることもたまにある。
建設的な意見だと思ったのに、残念。