歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

神田鍛冶町の造花専門店に『江戸の礎石』があった。

神田駅を降り、歩いていると木製の説明板を発見した。

この道も初めての道ではない。

今まで、気が付かなかったというのは、ただ漫然に歩いていただけなのだろう。

いや違った、以前もこの木製の説明板だけは撮っていた。

発見日  2019年10月24日(再発見日 2024年5月7日)

発見場所 東京都千代田区神田鍛冶町三丁目

 

このあたりは江戸時代にぎやかな町でした
丸い石は江戸初期の屋敷の礎石です 地下二米余のところに松杭の上にきれいに並べられていました
角石は江戸末期の土蔵の礎石です 地下約一米のところに松杭の上に松の大木があり
その上にありました
松杭は三百有余年の年月 地中で朽ちることなく重い礎石を支えていたのです
丸石と角石の間には竹で編んだ上水の溜井戸がありました (写真をご覧下さい)
寛永通宝や下駄 茶碗のかけら 又 たびたびの大火の跡を示す焼けた布なども出てきました
江戸町人のくらしが目に浮びます

撮影日 2019年10月24日



店の中に写真と石が置かれていた。


写真は反射してしまい、よく見えない。

左側に丸石があるのが確認できた。



丸石の後ろにある角石は置台になっていた。



町名由来板:神田鍛冶町三丁目

JR神田駅周辺には、「鍛冶(かじ)」という名を冠する町名が三つ存在します。
そのうち、鍛冶町一丁目(かじちょういっちょうめ)と鍛冶町二丁目(かじちょうにちょうめ)は、江戸時代から「鍛冶」が付く町名でしたが、ここ神田鍛冶町三丁目は「鍋町(なべちょう)」と呼ばれた町でした。
この界隈(かいわい)が鍋町と呼ばれていた理由は、江戸幕府の御用鋳物師(ごよういもじ)をつとめていた、椎名山城(しいなやましろ)が屋敷を構えていたためと伝えられています。鋳物師とは、鍋(なべ)や釜(かま)をつくる職人のことです。ほかに御腰物金具師(おこしものかなぐし)や御印判師(ごいんばんし)なども住んでいました。
鍋町に住んでいたのは、このような御用職人ばかりではありません。文政(ぶんせい)七年(1824年)の「江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)」によれば、紅(べに)や白粉(おしろい)などの化粧品、傘(かさ)、菓子(かし)、釘(くぎ)や打物(うちもの)などを扱う各種の問屋をはじめ、馬具や武具をつくる職人まで店を構えて住んでいたことがわかります。江戸時代、この界隈は鍋のような日用品から馬具や武器まで、多種多様な商品がそろう町でした。
明治のはじめ、隣接するいくつかの横町(よこまち)を含めて鍋町は広がりました。明治六年(1873年)、一部が黒門町(くろもんちょう)に編入され、さらに昭和八年(1933年)、鍋町は鍛冶町三丁目と改称し、一部が鍛冶町二丁目になりました。昭和二十二年(1947年)には町名に「神田」が付き、昭和四十一年(1966年)に実施された住居表示で一部は内神田三丁目に編入されました。これを受けて、地域の人々は町会の名称を「神田鍛冶三会」と改め、今日にいたっているのです。

神田鍛冶町三丁目」界隈 

安政三年・1856の地図だとこの店があるところは「鍋町北横町」になっている。

当時は何の店があったのだろう?

旧町名のものではないが歴史を感じるビル名板。



中央通りのガードレールに設置されていた。

神田鍛冶町三丁目は中央通り=国道17号(旧中山道)に両側にある。