2024年5月26日(日)に放送された「ザ!鉄腕!DASH!!~DASH島・電力化計画、電話プロジェクト~」で紹介されていたので、訪問してみようと思い立った。
以前も敷地の周りは探索したことがあるのだが、今まで入館したことはなかった。
思い立ったが吉日と思ったが、開館しているのが、木曜日と金曜日だけだった。
北門に着く。
ここから入れると思ったが、警備員に「入口はここではなくて、次の信号を右に曲がって、まっすぐ行って、信号を右に曲がってください。」と言われる。
言われた通り進む。
ようやくたどり着いた。
随分遠回りをしてしまった。
ロスタイム10分以上か?
2024年5月30日(木)初めて入館する。
事前に展示物のことを調べてこなかったが、結構いろいろありそうだ。
最初に目に入ったのがこれ。
1968年実施の「明治100年記念大銀座祭」に先立ち、銀座の街は大きく生まれ変わり
ました。東京都電銀座線は廃止され、それに伴い電灯/電話線なども地下の共同溝に移されました。この共同溝は、電話、電気、上下水道、ガスの管路を収容した全国初の共用管路でした。
1966年(昭和41年)12月16日、共同溝の工事に伴い、銀座最後の電柱は撤去されました。
長い間お邪魔しました。
私は銀座で最も古い電柱です。
関東大震災の直後から10年間、
銀座で私が支えていた電話線は
地下へ潜り、私の使命は終りました
来る12月16日は日本の電話70周年
の記念日です。その日、銀座の
街から老兵は消えます
私が消えると、銀座局の区域から
電電公社の電話柱はまったく姿
を消します。電柱をもたない
電話局は日本でも最初です
共同溝のことは下記の記事で紹介したことがある。
このようにつながるとは、面白いものだ。
電柱が写っている古い写真も展示されていた。
颯爽と街を歩く〈新しい女性〉たち
1947(昭和22)年に施行された新憲法は男女・夫婦が平等の権利を持つことをうたっている。古い価値観を脱ぎ捨て、颯爽と社会に飛び出していく〈新しい女性〉たち。そして 日本もまた、復興と成長への道を元気よく歩きだした。
1962年の銀座四丁目交差点の写真。
帰る時、出入口付近にある絵に気が付いた。
電柱が書かれている。
見ていると、受付の人に「共通しているものは何かわかりますか?」と聞かれる。
「電柱ですよね。」
「即答ですね。」
江戸時代なわけないよね。
1電信局 日本橋 新橋迄十六町
東京は日本一の大都会なれば世界いっぱん諸人あつまる処也 ことに日本はしは市中の真中にありて魚市あり 電信局ははりがねにて世界一同膝ぐみに咄致程の調法也
橋の南詰には、明治五(一八七二)年に開局した日本橋電信局が描かれている。庇付の開き扉を携えた白い洋館造りで、横には電信柱が設置され、電線が架設されていた。
4やつ山の下 品川 川さき迄二り半
右 18左り不二 吉原 蒲原迄一り三十丁
左 8藤沢迄二里 戸塚 山道より不二の眺望
右 20薩多のした 由井 おき津迄二り十二丁
左 15足柄山の景 沼津 はら迄一り半
右 26瀬戸川橋 藤枝 島田迄二り九丁
左 21田子の浦景 興津 江尻迄一里三丁
右 44矢はやぎ川 岡崎 ちりう迄三里二十七丁
左 59宿中より湖水の景 大津 西京迄三里
右 42縄手道の夕立 赤坂 藤川迄二り十五町
左 23安倍川橋 静岡 まり子迄一里半
12枚に共通して描かれているもの
それが何かわかりますか?
東海名所改正道中記
旅の絵といえば、歌川広重(初代)の「東海道五十三次」が有名ですが、この歌川広重(三代)筆による「東海名所改正道中記」は、明治維新以後の変貌を東海道五十三次になぞらえて描いた錦絵です。怒濤のごとく押し寄せる文明開化の有様を、毒々しい輸入アニリン紅を多用して描いたので、彼の開化絵は「赤絵」と呼ばれていたそうです。その中から、電線が描かれている12枚をピックアップしました。当時の文明開化の影響を受けた町の風景とともにお楽しみください。
どうでもいいことだが、自分だったら、"電線"ではなく"電柱"と書くけど、どうでもいいこと。