歩・探・見・感

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小字町名 国立市大字谷保字寺ノ下

国立市小字町名第2弾

 

発見日  2022年4月25日

発見場所 東京都国立市谷保

くにたちしらべ NO.15

発行日 2012 年 9 月 10 日 
編集=くにたち図書館地域資料ボランティア 
発行=くにたち中央図書館

『くにたちの地名』シリーズ 5 
小字・他(市制施行前)

寺之下(てらのした)

寺は南養寺の「下ハケ」に位置するので呼ばれていました。上之下、栗原、峡之下と府中用水に接した田圃でした。平成になって、一部が、泉一丁目、四丁目と新しい地番がつけられました。

 

国立の地形は、古代多摩川が南へと流れを変えていく過程で武蔵野台地を削り取ってできた河岸段丘でできている。段丘と段丘の境となる段差部分は「段丘崖」や「崖線
」といわれ、武蔵野地域では「ハケ」や「ママ」と呼ばれている。
多摩川から国立駅までの間には、3つの段丘崖・崖線がある。最も低い平地である「多摩川沖積地」は「多摩川」と「青柳崖線」のあいだ、次の平地「青柳段丘」は「青柳崖線」と「立川崖線」のあいだ、その上にある「立川段丘」は「立川崖線」と「国分寺崖線」のあいだに位置している。
このような独自の段状の地形が、国立の地形の特徴となっている。

 

青柳崖線の崖下の湧水で東京都の名湧水57選のひとつに選定された「ママ下湧水」と呼ばれているところがある。
ここについては、別記事で紹介しようと思っている。

 

国立観光オフィシャルサイト くにたちNAVIより

南養寺

谷保山南養寺は、臨済宗建長寺派の禅寺。同じ建長寺派である立川普済寺の末寺です。 南北朝時代の1347年(正平2年)、立川・国立一帯の有力武士であった立川入道宗成(むねしげ)が大檀那となり、鎌倉の建長寺から禅師・物外可什(ぶつがいかじゅう)和尚を招いて開山したと伝えられています。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼした合戦の戦火で焼失しましたが、江戸中期の1804年(文化元年)、中興の僧によって本堂が再建されました。現在の本堂は当時のままで、谷保天満宮と並んで、国立で最も古い建築の一つです。屋根だけは戦後は一部トタン張りで雨漏りを防いでいたそうですが、1981年(昭和56年)になってついに修理され、それまでの茅葺から銅葺きになりました。本尊は釈迦如来が安置されています。

 

南養寺の縁起(新編武蔵風土記稿より)
(上谷保村)南養寺
臺にあり、谷保山と號す、禅宗臨済派、當郡柴崎村普済寺末、本堂十間半に七間半南向、御朱印十石の寺領を附せらる、本尊釋迦木の坐像長一尺、開山大定貞治二年十月八日寂す。
観音堂。四間四方、木像の千手観音立身長二尺餘、運慶の作。
鐘楼。九尺四方、安永六年の鋳作。
一宇。門の西にあり。
門。谷保山の三字を扁す。前南禅僧僧録司大川宗達の書とあり。