先日、京都仁丹樂會さんから連絡をいただいた。
京都仁丹樂會さんのご尽力により、森下仁丹が町名表示板を保存してくれることになった。
よかった。
京都仁丹樂會さんには感謝である。
うぬぼれかもしれないが、自分の活動がひとつのきっかけとなり、このような結果になったと思うと、とてもうれしい。
Finalということで、この仁丹の町名表示板に関する記事や記事に書いていないことなどをまとめてみた。
2022年2月16日~2022年3月4日
東京の木製仁丹町名表示板について(1)から(6)の記事を投稿。
これらは自分でもよく書いたなと感心している。
2022年3月6日
京都仁丹学會さんに「本郷區根津須賀町」の町名表示板が仁丹のものではないかと問い合わせする。
同日
京都仁丹学會さんより返信があり、仁丹のものと確信しているとの連絡がある。
2022年3月14日
京都仁丹学會さんが森下仁丹に保存のお願いをしているそうなので、並行して森下仁丹に保存のお願いを熱く語った内容の文面を問い合わせフォームに書き込んで送信した。
しかし、1ヶ月以上たっても返事をもらえない。
注意事項に記載されている「できるだけ早くの対応を心がけておりますが、お問合せ状況や内容により、回答が遅れる場合やお返事を差し上げられない場合がございますので、あらかじめご了承ください。」に該当したのだろうか、がっかり。
別に変な問い合わせではないので、何か返信してくれてもいいのにと思ったが、町名表示板には関心がないのかもしれないし、そういう企業体質なのかとあきらめる。
2022年4月24日
森下仁丹に問い合わせても返事をもらえなかったので、町名表示板が設置されている自治体である文京区に問い合わせしてみる。
しばらく待ってみたが、こちらも何の音沙汰がない。
もう他人任せにできないと思った矢先、次の事件が発生。
2022年5月9日
現地に再訪すると、町名表示板が消滅していた。
途方に暮れ、しばし付近をさまようが、お宅の電気がついていたことを思い出し、戻る。
戻った時は電気が消えていた。
玄関をノックしてみるが、返事はなかった。
同日、家に帰ってから、京都仁丹学會さんに連絡すると、京都仁丹学會さんで保護している旨の連絡をもらう。
併せて、2022年5月8日朝日新聞『古都ぶら "ひげの男性"の看板を追う㊦ 「奇跡の1枚」東京に木板』という題でこの木製仁丹町名表示板が取り上げられているとの連絡もいただく。
2022年6月7日
京都仁丹学會さんよりレプリカを設置した旨の連絡あり。
京都仁丹学會さんのブログにこの木製仁丹町名表示板が取り上げられる。
2022年8月1日
京都仁丹学會さんより森下仁丹に寄贈した旨の連絡あり。
森下仁丹にお願いしたいことがいくつかあるが、以前提案したことが無視されたままだし、書くだけ無駄なので、やめておこう。
しかし、保存してくれたことには感謝しなくてはいけない。
これで東京の木製仁丹町名表示板の救出プロジェクトが完了した。
仁丹町名表示板については京都仁丹樂會さんがいたから、このように救出することができたが、東京の旧町名の痕跡は消滅していく一方である。
自治体に頼んでも、何の連絡ももらえず、無駄だということが、今回でわかった(文京区だけかもしれないが、もう自治体に頼むことはあきらめた)。
個人としては、記録に残していくのが精いっぱいかもしれないが、可能であれば、旧町名の痕跡を救出したいと考えている。