歩・探・見・感

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「小山御殿広場」と旧町名「御殿町」の電力プレート

2020年5月23日以来の久しぶりの栃木県小山市

ブログ開始前の訪問だったので、見所はあったのに記事を書いていなかったようだ。

ということで、小山市初の記事。

小山市役所

 

2021年3月12日に完工したので、新しい。

その横に広場が広がっていた。

小山御殿広場の整備と発掘調査について

小山御殿広場の整備について
小山市殿広場」は、歴史を学ぶ場であり、文化活動やさまざまな学習・体験の場として活用することができます。中世小山氏の重要な遺構を保存することはもちろん、中心市街地に残された貴重な自然空間として、歴史案内とまちづくりの拠点となるように、今後の活用も十分考慮して整備を行いました。
発掘調査により確定された「小山御殿」の建物配置や、周囲に造られた堀や土塁は、色分けをしたインターロッキング舗装や着色コンクリート舗装により平面表示を行いました。これは、雨水を速やかに地下に浸透させる自然に優しいものであり、高麗芝とあいまって、自然な空間を作り出しています。

発掘調査について
「小山御殿広場」は、小山氏時代の遺構を埋め、後北条氏が曲輪を造営した後、徳川幕府によって「小山御殿」が建てられた場所です。発掘調査では、15世紀の大規模な城の区割りや、16世紀後半の後北条氏による城の整備・強化、17世紀初頭の「小山御殿」の建設などをきっかけに、城が大きく変化していく様子がわかりました。

発掘調査の成果
発掘調査では、井戸跡や「小山御殿」の周囲に巡らされた堀跡、二重に築かれた土塁などの遺構が見つかりました。「小山御殿」の位置は、これらの遺構や絵図面などを重ねて推定しました。
「小山御殿」が機能していた時期の遺物としては、硯(すずり)などが見つかりました。硯の裏側に、「土橋」の銘が線刻されていたことから、「江戸幕府小山御殿図」等に登場する、御殿番を務めた土橋兵右衛門、久兵衛と関連があると考えられています。

玄関と御殿

老中休息所



小山御殿広場

小山御殿は、徳川将軍家の日光社参の際の休憩・宿泊所として設けられました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの直前におこなわれた「小山評定」の吉例にならったものといわれています。
徳川家康は元和2年(1616)4月17日に没し、翌年日光東照社(後の日光東照 宮)にその遺骸が改葬され一周忌が営まれます。それ以来、日光は徳川将軍家の聖地となります。将軍家の日光社参は19回に及び、なかでも、三代将軍家光は10回、日光参詣をおこなっています。
小山御殿はかなり厳重な配置になっていたようで、周囲に堀が廻り、土塁が二重に築かれ、敷地内には16ヶ所に御番所が設けられていました。
将軍家の日光社参は寛文3年(1663)に四代将軍家綱がおこなって以降、八代将軍吉宗享保13年(1728)に再開するまで財政難のため中絶します。この間、大風によって建物の一部が壊れてしまったこともあり、小山御殿は天和2年(1682)、古河藩によって解体されました。

小山御殿復元図

小山御殿図

小山御殿推定位置図

位置図



「小山御殿」が由来と思われる旧町名「御殿町」時代の電力プレートを発見。

発見日  2024年11月12日

発見場所 栃木県小山市城山町二丁目

電力プレート

歴史

1889年(明治22年)4月1日
市制・町村制施行により小山町・稲葉村・神鳥谷村が合併し下都賀郡小山町が誕生する。栃木県下都賀郡小山町

⇒栃木県下都賀郡小山町小山

⇒栃木県下都賀郡小山町

⇒栃木県下都賀郡小山町御殿町

1954年(昭和29年)3月31日
下都賀郡小山町と大谷村が新設合併。市制施行。栃木県小山市御殿町

⇒栃木県小山市城山町