2024年11月30日、ここに載っている旧町名「○○耕地」を探しに来たのだが、短時間の訪問だったせいもあり、ひとつも見つけられなかった。
その代わりにマンションの事業計画に書かれていた字名のものを発見。
上の地図には載っていない。
字は現存していないと思っていたが、現存しているようだ。
「癸耕地」の読みは「みずのとこうち」
登戸村は、明治六年の地租改正によって地番がつけられた際、それ以前からあった地字に関係なく、甲耕地~癸耕地という字名がつけられた。しかし、人々の生活の中ではほ
とんど根つかず、現在では登記簿だけでのみ使用される地名となっている。
明治二十二年
市制・町村制で菅、中野島、登戸、宿河原、堰の五村が合併して稲田村ができ、橘樹郡稲田村大字登戸となる。
昭和七年
稲田村は、稲田町となる。
昭和二十四年
川崎市大字登戸から分離し、登戸新町が成立。(明治六年、登戸村に甲耕地~癸耕
地までの字名がつけられたときの壬耕地と癸耕地の辺りの地域。)
登戸の小名 大島、柳町、中田耕地、内河原新田、東耕地、上台、中村
登戸の字 甲耕地、乙耕地、丙耕地、丁耕地、戊耕地、己耕地、庚耕地、辛耕地、
壬耕地、癸耕地
通称地名 旧堤、川原、下河原、石屋河岸、東、中店、田中、橋場、富士塚、砂川、
一本圦、紺屋前堰、越場
登戸 甲耕地、乙耕地、丙耕地、丁耕地、戊耕地、己耕地、庚耕地、辛耕地
登戸新町 壬耕地、癸耕地
参照
川崎市委託事業報告
小田急小田原線・多摩線の周辺における住居表示変更に伴う
町名と町の変化に関する調査研究
「川崎市北部 多摩区・麻生区の町名の移り変わり」
https://www.city.kawasaki.jp/250/cmsfiles/contents/0000005/5013/29chimeihoukoku.pdf
「小名(こな)」と「字(あざ)」とは同じものだと思っていたが、明確に分類されている。さらに「通称地名」まである。
どれかひとつくらい発見したくなってきたが、発見できる日は訪れるのだろうか?