今まで何度か写真を撮ろうとして訪れたことがあるのだが、いつも人がいて撮ることができなかった
2024年7月22日、こんな暑い日、流石に誰もいないだろうと思い、新宿中央公園を訪れた。
目的のものは富士見台にあるのだ。
見上げると、人がいた。
こんな時間にベンチでストレッチなんかしてやがる。
してやがる、なんて下品な言い方。
何をしていようと自由でしょうよ。
学生かな?
彼が写らないように下から写真を撮る。
早くどいてくれないかなあ。
上まで行って、飛び石を撮って、全体を撮りたいんだよなあの無言アピールをして、下りる。
仕方ない。
周辺で少し時間をつぶそう。
しばらくして、富士見台の方を見ると彼が階段から降りるのが見えた。
他の人が来ないうちに急ぎ足で登る。
富士見台に再登頂。
この丘は公園の最高所(標高 東京湾中等潮位+45米)ではるか西空に秀嶺富士を仰ぐ展望台である
なお ここにある六角堂は淀橋浄水場時代のものを補修してそのまま残した
また通路の飛び石は浄水池の壁に使われていた明治30年頃の古い煉瓦である。
ようやく富見台を独占することできた。
人が来ないうちにさっさと仕事を済まそう。
柱
上部
今の時期は青紅葉。
春は桜、秋は紅葉とコラボできそう。
アプローチ
六角形のテーブルとイス
これも何かの痕跡かな?
公共基準点が設置されていた。
説明板①
六角堂は、旧淀橋浄水場の洋風四阿で、階段を上がった先にある富士見台と呼ばれる築山上にあります。建てられた時期は、明治39年から昭和2年の間と考えられています。公園整備の際に、当時の地盤をそのまま残し、浄水場時代の記念物として保存しました。今では、浄水場があった当時の施設等はほとんど無くなり、この六角堂は現存する貴重な施設であることから、平成25年3月に新宿区の 『地域文化財』に認定されました。
浄水場時代の六角堂
当時の淀橋浄水場を訪れた見学者は、ここから場内を眺めながら説明を受けたり、休憩したりしていました。
浄水場から副都心へ
東京の多くの家庭にきれいな水を提供し続けた淀橋浄水場は、新宿副都心計画の中で移転が決まり、昭和40年、60年以上にわたる歴史に幕を閉じました。跡地には現在、新宿中央公園や日本屈指の高層ビル群が立ち並んでいます。
説明板②
建てられた時期が1906年(明治39年)から1927年(昭和2年)の間と幅があり過ぎ。
明治後期~昭和前期と書かれているものもある。
何も資料が残っていないというだろうか。
これでは不明とあまり変わらない。
この後、探索を続けていると、別な場所で旧淀橋浄水場関連のものを発見することになる。
それは別な記事で紹介する予定。