歩・探・見・感

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旧町名&難読地名「我孫子市中峠字塚之越」

この日は湖北駅から探索を開始する。

我孫子町時代、湖北村のものは見つからなかったよぉ。

その代わりと言っては何だが、元上司と思われるお宅を発見した。

我孫子市に住んでいると言っていたので、同姓同名とは考えづらい。

びっくりぽん。

我孫子市には難読地名がいくつかあるが、そのうちのひとつ「中峠」。

「なかとうげ」ではなく、「なかびょう」と読む。

「中峠」は現存している町名だったわ。

だけど、町名地番変更しているので旧町名扱いとしているのさ。

発見日  2024年8月1日

発見場所 千葉県我孫子市中峠台(なかびょうだい)

我孫子市中峠字塚之越

「峠」の字が読めないですって。

現地では読めたのよ。

たぶんだけどね。

そういう場合は心で読んでね(^_-)。

字付き大好き(⋈◍>◡<◍)。✧♡

「塚之越」の由来は調べてみたのだけれど、不明だったの。

お許しになって。

我孫子市中峠

地名の由来

中峠という名前は一説には牓示(ぼうじ、荘園などの土地にたてる標識のこと)が由来しているといわれている。牓示は、「バウジ」、「ハウジ」と読まれていて、下総国では「ベウジ」、「ビャウジ」と転訛したといわれている。また、境界線の意味から、峠という字があてられていた地域もあったという。中世、所領の境界線、特に荘園の境界線を巡って訴訟が起きた際には、幕府にはそれを裁定する義務があり、そのさいの境界を設定するときに東西南北の中間に新たな牓示が打たれたり、改めて大きな牓示が打たれたりすることが多い。中峠とは、「中」(真ん中の、という意味)と「峠」(牓示のことを指していると考えられる)を組み合わせて真ん中の牓示を指していると考えられている。

歴史

現在の我孫子市の市域は、近世においては布施村根戸村、久寺家村、都部村、岡発戸村、下ヶ戸村、青山村、柴崎村、高野山村、我孫子村(我孫子宿)、新木村、日秀村、古戸村、中里村、中峠村、布佐村ほか 19 の新田(このうち定住者がいた新田は 13)で構成されていた。

1889年(明治22年
市制・町村制施行により、新木村、日秀村、古戸村、中里村、中峠村は湖北村に編入された。

1993年(平成5年)6月2日
区画整理に伴う町名地番変更により、中峠の一部が中峠台となる。