歩・探・見・感

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我孫子市にある平將門ゆかりの地を訪れる ~將門の井戸・將門神社編~

まだ、記事にはできていないが、以前、手賀沼の反対側にある柏市の『平將門ゆかりの地』に訪れたことがある。

我孫子市側にも『平將門ゆかりの地』があることを知り、いつか訪問しなければと思っていたが、すっかり忘れていた。

2024年8月1日、ようやく、我孫子市にある『平將門ゆかりの地』を訪れることができた。

湖北駅にあった観光案内板。

目的地が載っていた。

上の地図には載っていないが、事前調査をしたところ線路沿いの道を歩いていくのが近そうだったので、狭い道を歩いていく。

まだ着かないのかなあ。と真夏の日差しの中で思う、

思ったより時間がかかった。

少し遠回りをしてしまったようだ。

ようやく目的地の案内板が見えた。


我孫子市にはこのような観光スポットの案内板が随所にあるのでありがたい。

おかげで地図が無くても道を間違えることがあまりない。

先に近い「將門の井戸」から攻めていくことにした。



左側が「將門の井戸」への道



ゆるやかな坂道を下っていく。

すぐ到着。



標柱がひもで木に括り付けられていた。


説明板もなく、寂しすぎる。

もしかしたら、私有地なのかな?

夏だからか水は枯れていた。

底には孔の空いたステンレス板が伏せられており、趣に欠ける。

道沿いに周囲を歩く。

「將門の井戸」は「湖北七ツ井戸」の1つで地元では石井戸(いわいど)と称していた。すり鉢状に掘られた「まいまいず井戸」。

伝承によれば承平2年(932)將門が軍用に開いたという。

来た道を戻ってもよかったのだが、更に下って日秀観音通りに出る。


通り名にある「日秀」も我孫子市の難読地名のひとつ。

「ひびり」と読めないよね。

坂を登っていく。

たいした坂ではないが、だらだら上り坂はこの暑さには堪える。

曲がり角まで戻ってきた。



「將門神社」へ向かおう。

「將」と旧字体になっていないのが気になる。

到着。

將門神社・將門の井戸
大正9(1920)年に発行された『湖北村誌』に依れば、「日秀村産土にして、 創立年代は明かならされ共、傳ふる處によれは天慶三年(平將門)公の戦没するに遭ふや、其の遺臣等嘗て公が手賀村布施明神下(現在の柏市布瀬近辺)より手賀沼を騎馬にて乗り切り、湖畔の岡陵に登りて馬を繋き、旭日朝天を拝せし地域に於て一宇(お堂・祠)を奉祠し、公の御霊を迎へし」(原文ママ・括弧内補足)というのが將門神社の起こりとされています。元は將門社とされていましたが、明治42(1909)年に將門神社へと改称されました。
この將門神社を始めとして、我孫子市、特に日秀地区には平將門伝承が色濃く遺されており、將門の井戸もその一つです。將門の井戸は將門神社のある台地を南東に下りたところにあり、地面をすり鉢状に掘り下げた底の部分を垂直に掘り下げる「まいまい(ず)井戸」と呼ばれる形状のものです。
現在の我孫子市域はかつて下総国相馬郡に属していましたが、「將門の乱」の経過を記したとされる『將門記』には、「相馬郡大井津を以て号して京の大津と為さん」という一文があり、「將門の乱」の影響が相馬郡にまで及んでいたことを示唆しています。
日秀地区では、「神となった平將門公の威徳によって、豊かで、平穏な村が守られてきた」と伝わり、現在でも「平將門公」として崇敬の対象となっています。 
令和六(二〇二四)年二月
我孫子市教育委員会

今年2024年に設置されたばかりの新しい説明板だった。

こちらの方に井戸の説明もあった。

神社自体も新しく見える。

平成28年ということは、2016年。

新しく整備されたようだ。

扁額


親王 將門大明神

將門神社拝殿建立記念

裏側を見るのを忘れた。

拝殿

2016年(平成28年)9月本殿前に建立された。間口2間半・奥行2間、銅板葺・切妻屋根の土間拝殿。拝殿建立を機にフェンスが設置され、参道には敷石が敷かれ手水鉢も移設されるなどきれいに整備された。

上部に飾られているのは平氏の家紋のひとつである揚羽蝶


平將門の家紋は九曜紋

本殿覆い屋と本殿


本殿覆い屋は2023年(令和5年)4月に完成したそうだ。

本殿の家紋も揚羽蝶



本殿

石の基壇を高く積み、その上に石祠(127cm)を安置、流造、2本の向拝柱がある。地面からの高さは約290cm。

賽銭箱&ポスト?

初めて見るドカン形の賽銭箱。

何のためのポスト?

まさか黄泉の国にいる平將門に届く?

これも旧字体の"將"が使用されていないね。

これを機に柏市にある『平將門ゆかりの地』の記事も書かねば思うが、いつのことになるであろうか?