山手町は住居表示が実施されていないが、戦前から存在すると思われるもの=旧町名級のものをいくつか発見した。
①山手町四十五番ノニ
発見日 2024年9月23日
◎建築年:1927年(昭和2年)
◎設計者:糸川工務店
◎構造:木造2階建て
右書きだ。
②弐百六番
発見日 2024年9月24日
右書きの門柱
③山手二四の三
発見日 2024年9月28日
「静」が旧字体の「靜」になっている。
「町」が抜けている。他でも「町」がないものを見かけたことがある。
このお宅には「山手」と「山手町」の両方があった。
④中區山手町七六番
発見日 2024年9月28日
◎建築年:昭和初期
◎設計・施工:不詳
「区」が旧字体の「區」になっている。
フェリス女学院一号館の塀の右手にある門柱
右側のプレート
中学校・高等学校を示す、
FERRIS GIRLS' JR HIGH SCHOOL
FERRIS GIRLS' SR HIGH SCHOOL
が設置されているが、完全に新しいもの。
左側
178のプレート
門柱は建設当時からあるらしいので、古いものかもしれない。
歴史
1866年(慶応2年)の「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」(慶応約書)に山手居留地の造成が盛り込まれ、翌1867年(慶応3年)に久良岐郡横浜元町・北方村・中村・根岸村の各一部を割いて山手居留地が設置され、外国人居留民の住宅やキリスト教系の学校などが建てられた。
1873年(明治6年)5月1日の区番組制や1874年(明治7年)6月14日の大区小区制、および1878年(明治11年)11月21日の郡区町村編制法実施の際には山下居留地とともに横浜区および周辺各村のいずれにも属さない区域とされた。
1879年(明治12年)に外国人居留地の管理が神奈川県から横浜区に移管される。
1884年(明治17年)7月、山手居留地に以下の26か町が設けられた。
谷戸坂町、山手本町通、富士見町、内台坂、西坂町、地蔵坂、小坂町、大丸坂、撞木町、環町、公園坂、西野坂、汐汲坂、高田坂、三ノ輪坂、稲荷町、南坂、貝殻坂、宮脇坂、陣屋町、諏訪町通、弓町、畑町、矢ノ根町、泉町、林町
1889年(明治22年)4月1日
横浜市制が施行され、山手26か町は外国人居留地のまま市域に含まれることになる。
1899年(明治32年)
7月17日条約改正により外国人居留地が廃止される。
7月24日に26か町の区域に山手町を設置した。