歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

「東京府北豊島郡高田町」時代のマンホール蓋を探索する。

2025年2月3日、豊島区を探索していると、千登世橋付近で、偶然、「高」とデザインされているマンホール蓋を発見した。

①豊島区雑司が谷三丁目 千登世橋東詰の北側

中央の高田町章は幅太になっている。

そして、更に他の場所にもあるらしいことが判明した。

あるらしいと書いたのは、情報が古く、消滅している可能性も高いということだ。

それは、王子町時代のマンホール蓋の現存を確認しに行ったところ、散々な目に合ったことがあるからだ。

その実情は下記の記事で書いた。

citywalk2020.hatenablog.com

思い立ったが吉日。

翌日の2025年2月4日、早速、探索隊を派遣した。

と言っても、ボッチ探索隊だ。

それぞれ、事前にストビューで確認してみたが、ストビューでは、ブツの場所を特定できず、大体の場所しかわからなかった。

現存しているのだろうか?

王子町の二の舞にならないか、とても心配だ。

しかし、それは杞憂だった。

②豊島区目白二丁目

路地の階段を降りたところにあった。

ここは薬局などの駐車場になっているようだ。明治通り沿いからくれば、よかったかも。

③豊島区高田二丁目 都電荒川線学習院下停留場脇の歩道



④豊島区高田三丁目 高戸橋北詰の西側の歩道



分水のマンホール蓋とのペアリング



住居表示街区案内図

上で紹介したマンホール蓋①~④はすべて明治通り沿いに残っていた。

都電雑司ヶ谷停留所近くの東通りへ移動する。



東通りに入り、一つ目の路地に入ると、あったよ!

⑤豊島区南池袋二丁目

花崗岩製の縁石あり



⑥豊島区南池袋二丁目 ⑤の前方

花崗岩製の縁石あり

この先には、豊島区役所とサンシャインシティが見えている。

⑦豊島区南池袋二丁目 ⑤と⑥の西側の路地

①と同じく中央の高田町章は幅太になっている。

井戸がある風景

青いビニールシートが被されている。

廃屋に井戸が残されている。

紋章の「髙」の口は、「高笑い」「半開き」「おちょぼ口」の3種類があり、①と⑦が「おちょぼ口」で、それ以外は「高笑い」と分類されるようだ。「半開き」のものは、消滅してしまったようだ。

歴史

1889年(明治22年)5月1日
市制町村制により、北豊島郡高田村、高田千登世町、高田若葉町、雑司ヶ谷村、雑司ヶ谷旭出町と小石川区田豊川町、雑司ヶ谷町、さらに巣鴨村、小石川村、落合村の一部が合併され高田村となる。

1920年大正9年)4月3日
高田村が町制施行し高田町となる。

1932年(昭和7年)10月1日
東京市編入により、高田町は巣鴨町、西巣鴨町、長崎町とともに東京府東京市豊島区になる。高田本町一・二丁目に編入となり消滅。

巣鴨地蔵通商店街の路地に「高田町」の越境蓋があるらしいとの情報もあり、小一時間路地を探しまくるが、発見できず。

帰ってから調べたところ、場所を特定できたので、ストビューで確認したところ、消滅していた。

ストビューの最新の情報は2022年9月と古いもので、現在はコンビニが建て替え中だった。

あの時間は何だったのかという感じ。

行く前に分かっていれば、わざわざ行かなかったのだが。

事前調査不足を痛感。

調べていたら、巣鴨町時代のものもあるらしいことが分かった。

これは念頭になかったので、探索しなかったが、ストビューで探索したところ、探索したところだったことがわかったが、消滅してしまっていた。

さすが、ロートル(死語か?)でも、マンホール蓋探しに熱中して、下ばかり見ていたので、あれば気が付いていただろう。

でも、別な場所に残っている可能性があることが分かり、早急に「巣鴨町」&「西巣鴨町」マンホール蓋探索隊を派遣する予定だ。

現存していればうれしいが、消滅していたら、トホホである。