発見日 2020年10月6日
発見場所 東京都国立市谷保
よく見ると中央の表札は「国立町」になっているが左側は「國立町」になっている。
「桃山流舞踊」で検索してみたところ、「桃山玉涛桃山流みやこ舞」や「日舞新舞踊 桃山流 清華会」がヒットしたが、「桃山流」は後継者に受け継がれているのだろうか?
歴史
1868年(明治1年)
韮山県設置。上谷保村、下谷保村、青柳村、石田村が所属する。まもなく石田村が神奈川県へ編入。
1871年(明治4年)
上谷保村、下谷保村、青柳村、が神奈川県へ編入。
1875年(明治8年)
上谷保村、下谷保村が合併して谷保村となる。
1889年(明治22年)3月31日
谷保(やぼ)村、青柳村、石田村飛地の3村が合併し「谷保村」に。
1893年(明治26年)4月1日
神奈川県から東京府へ移管され、東京府北多摩郡谷保村となる。
1943年(昭和18年)
現在の国立地域(東・中・西・北)で大字国立が成立。
1951年(昭和26年)4月1日
谷保村が町制施行。駅名から町名をとって「北多摩郡国立町」となる。
1967年(昭和45年)1月1日
国立町が市制施行して国立市となり、郡より離脱。
この表札は「国立町」時代のものなので、50年以上前から、ここに存在していることになる。
国立市の市名の由来
中央線国分寺駅と立川駅の中間にできる新しい駅とこの地区に、両駅から1字ずつ取って「国立」と名付けたことによる。この案は「この地から新しい国が立つ」という願いとも相まって受け入れられたようだ。
谷保の町名の由来
現在の西東京市の保谷地区では農作物の不作が続き、そこに住んでいた住民が新たな開墾地として当該地に移り住み、元の保谷の出身を忘れないため谷保という地名をつけたという伝承も存在する。 元々は「やぼ」であったが、谷保駅が開設される時にやぼは野暮に通じ、縁起が悪いということで駅名を「やほ」としている。