歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

住居表示が実施されていた市谷薬王寺町と啓翁桜が満開だった浄栄寺

住居表示と浄栄寺が何の関係があるかと思ったことだろう。

それはこの記事を読んでもらえればわかる。

2024年3月23日のこと。
次の目的地に行くため、薬王寺坂通り(江戸時代、現在の外苑東通り沿いに薬王寺という寺院があった。)の坂を上っていく。
(見えている階段は薬王寺坂ではない、撮る方向を間違えた、写真だと右側から登ってきたのだ。)

前も来たことがあるはずだが、昔のことは覚えていない。

突き抜けられると思っていたが、路地に捕まり、戻るしかなくなった。

たぶん以前も同じことをしていると思うのだが、以前のことは覚えていないのだ。

ここもたぶん撮ったと思うのだが、撮ったことは忘れている。

そう、忘れていることが多い。

ここまでに来る途中、四谷區時代の旧町名の表札があったのだが、見た時、久しぶりに大物を発見したかもしれないと喜んでいたら、帰ってから調べてみると以前既に撮ったものだった。
これはブログでは未紹介のものだったから、記憶に残っていなかったのかもしれない。

困ったちゃんだ。

浄栄寺の山門「甘露門」


新宿区指定有形文化財 建造物

所 在 地 新宿区市谷薬王寺町二十七番地
指定年月日 平成二十四年五月二日

浄土真宗時浄栄寺の山門で、安永七年(一七七八)の年号をもつ扁額や建築装飾の様式等から、江戸時代後期の建築と推定される。形式は薬医門で、切妻造・桟瓦葺である。柱や梁の材が太く、屋根は大振りで重厚な門構えをみせる。
浄栄寺は、江戸時代後期の文人大田南畝と縁が深く、南畝はこの寺を「甘露門」と称し度々会合を催していた。この山門に掲げられた扁額にも「甘露門」と記されている。
かつてこの界隈は、袋寺町と呼ばれる寺町であったが、この山門は当時の面影を伝える数少ない建築であり、また、区内でも希少な江戸時代の建造物として重要である。

平成二十四年六月 新宿区教育委員会

浄栄寺のおもな歴史、歴代住職などについての記載もあった。



郵便受けに新旧の住所シールが貼られていた。



境内に桜が咲いているのが見えたので、立ち寄ってみることにした。

玄関にも住所変更の案内が貼られていた。



曇り空なので今ひとつだったが、満開でキレイだった。


啓翁桜という品種だった。

啓翁桜はつぼみの花が開くと、うす紅色をしたボリ ューム感のある花がきれいに咲きそろって、春の明るい華やかを演出してくれる。

名前の由来
啓翁桜は、1930年(昭和5年)、久留米市の良永啓太郎氏が中国系のミザクラを台木にし、彼岸桜の枝変わりとして誕生させた。名付け親は同じ久留米市の弥永太郎氏で啓太郎の一字をとって啓翁桜と名付けた。

花言葉
貴方に微笑む、精神美、淡自、純潔、善良な教育

浄栄寺の梵鐘

新宿区登録有形文化財工芸品

所 在 地 新宿区市谷薬王寺町二十七番地
指定年月日 平成十八年三月七日

浄栄寺第三世覚円の発願により、元禄九年(一六九六)に鋳造された銅造の梵鐘。総高一三四・五センチで、江戸鋳物師西嶋伊賀守藤原兼長の作である。
江戸鋳物師の製造技術が頂点に達した時期の作品で、江戸鋳物師の作風・鋳物技術を知ることができる。また、銘文から当寺の寺歴や梵鐘鋳造の歴史を知ることができ、史料的価値も高い。
太平洋戦争中の供出により区内の江戸時代の梵鐘は残存数が少なく貴重である。

平成十八年十月 新宿区教育委員会

新宿区内に残る江戸時代の梵鐘は、第二次世界大戦中の金属供出により多くが失われ、区内にある約130の寺院でも13件しか残っていない。区ではこのうち11件を区指定・登録文化財(工芸品)に指定・登録している。

このことを知り、公開されている梵鐘巡りをしたくなったのは、言うまでもない。

ここからは2024年3月25日再訪時に撮ったもの。

住居表示街区案内 平成30年12月現在のものがあり、旧番地のままだった。



旧番地のもの

住居表示されたばかりなので、ほとんどが旧番地で、まだまだあったが、個人宅のものは撮らなかった。

住居表示街区案内図 令和6年2月現在と先月に設置されたものもあった。

一番大きかった旧番地83が一番小さい新番地1になっていた。

左側の電柱に設置されたものは"1"のシールが貼られていて、"83"が透けて見えていた。