歩・探・見・感

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現町名「高崎市あら町」の旧町名は「高崎市新町」 はて?・・・なるほど!

高崎市の町名を調べていたら、平仮名混じりの「あら町」という町名があり、その町名に旧町名があることがわかった。

それは「新町」。

な~に~。

ということで、湘南新宿ライン特別快速に揺られ、調査に向かった。

発見日 2024年8月27日

発見場所 群馬県高崎市あら町

旧町名の痕跡達

表札



町名表示板


ビル名



まず「あら町」の歴史を辿ってみることにしよう。

高崎市あら町(旧高崎市新町)

江戸時代頃からの地名で、高崎城の城下町の1町だった。中山道が町内を通過していたため、慶応年間から伝馬宿、寛永9年から問屋を勤め、本町・田町と並んで高崎城下三伝馬町の1つとなる。

地名の由来

町名は、和田氏が城主であった時代の金井宿、馬上宿のほかに「新しくできた町」という意味で「新町」になったと伝えられている。

1889年(明治22年)4月1日
町制施行で高崎町の町名となる。

1900年(明治33年)4月1日
市制施行で高崎町は高崎市となる。

2006年(平成18年)1月23日
高崎市多野郡新町と合併する際に、町名が重複してしまうため、「新」をひらがなにして「あら」とし、「あら町」の表記に改めた。

次に「新町」の歴史を辿ってみることにしよう。

高崎市新町(旧多野郡新町)

慶安 - 承応頃 - 落合・笛木に宿場の町並みが形成される。
古文書によると、「落合新町」、「笛木新町」との記述が多く、宿場としては両町あわせて新町宿と呼ばれたが、行政的には比較的独立していた。

1654年(承応3年)
加賀街道が中山道となる。

1724年(享保9年)
新町宿が中山道の正式な宿場となる。

1875年(明治8年
緑野郡落合新町・笛木新町が合併し、新町となる。

1883年(明治16年)12月27日
日本鉄道(現JR東日本高崎線新町駅が開業する。群馬県内で最初に開業した駅となった。

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴い、緑野郡(みどの)新町が成立する。

1896年(明治29年)4月1日
緑野郡が多胡郡・南甘楽郡と統合して多野郡となり、同郡の所属となる。

2006年(平成18年)1月23日
群馬郡群馬町箕郷町倉渕村とともに高崎市編入。町域は高崎市新町となる。

旧城下町の高崎市新町、中山道の宿場町の多野郡新町。

どちらも由緒ある町名だ。

今回のは、合併される方の町名が変わるではなく、合併する方の町名が変更されてしまったケース。

読み方が異なるからか、高崎市の方の「新町」を平仮名混じりの「あら町」に変えてしまった。

元新町と本新町、高崎新町と多野新町、北新町と南新町、いろいろ候補があったのだろうけれど、決着されたのが「あら町」とは、びっくりぽんだ。

反対の声も当然上がったのだろうけれど、駅近で開発が進んでいて、古くから住んでいる人も少なくなり、折れざるを得なかったのかもしれない。

新町からあら町に変更されていたもの


電柱



交差点名



道路名


群馬県高崎市あら町からJR北高崎駅高崎経済大学前を経由して同市下室田に至る県道。

以前は「高崎榛名線」という名前だったが、平成の大合併高崎市榛名町を合併したため、名前が変わった。

あら町会館


あら町諏訪神社とあら町山車蔵


「新町」から「あら町」に書き換えたり、作り直したんだろうな。

まさか、神社関連のものも変更されているとは、たまげたバイ。

変更されていないもの


社号標は「あら町」になっているが、説明板は「新町」のまま。

でも所在地は「あら町」になっている。

部外者の自分だが、どうなっているのと思ってしまう。

神社にあったリアカー

これは「新町」のまま。

次の宿題。

高崎市新町」の旧町名「多野郡新町」を探すこと。