過去に調布市の旧町名を下記の記事で紹介したことがある。
前回は現存している町名がほとんどだったが、今回は消滅してしまった旧町名「金子町」を紹介することにしよう。
①
発見日 2024年11月19日
発見場所 東京都調布市西つつじヶ丘四丁目
②
発見日 2024年11月19日
発見場所 東京都調布市菊野台一丁目
歴史
1889年(明治22年)4月1日
市制・町村制が施行開始され、日本全国の基礎自治体として市町村が置かれることとなる。これにより同日、神奈川県下にあった北多摩郡に、現在の調布市域にあたる以下の2町村が発足した。
調布町 - 布田小島分村、上石原村、下石原村、上布田村、下布田村、国領宿、上ヶ給村、飛田給村が合併。
神代村 - 深大寺村、佐須村、金子村、柴崎村、下仙川村、入間村、大町村の全域および北野村の一部が合併。
1943年7月1日
東京都制が施行され、東京府が廃止され東京都となり、北多摩郡調布町・神代村は東京都に属することとなった。
1952年(昭和27年)11月3日
神代村が町制施行し神代町となった。
1955年(昭和30年)
神代町と調布町が合併して市制施行し「調布市金子町」となった。
1968年(昭和43年)
東つつじケ丘、西つつじケ丘に変更され、金子町は消滅。
ここからは探してきた金子町の痕跡達
調布金子郵便局
金子地域福祉センター
金子嚴嶋神社
鎮座地 東京都調布市西つつじヶ丘1-15-8
由緒 古くば「弁財天稲荷合社」といわれた。お社の創建年代は不詳だが(推古の頃との説もある)社前に清澄な水をたたえる池があり、昔、居住者が農耕や生活に不可欠の水に感謝の念を込めて池のほとりに建て、弁財天を祀ったのが創始ではないかと思われる。いつの頃「嚴嶋神社」と変わったかについての資料は見当たらないが、他社の例をみると明治初年の神仏分離に関わりがあるのではないかと思われる。
末社に「金子稲荷神社」と書かれているが、写真を撮っただけで、その時は気が付かず、行かなかった。
鳥居の裏に「金子村」と刻まれていた。
金子稲荷神社
鎮座地 東京都調布市西つつじヶ丘4-9
由緒表面
由緒裏面
「神代村金子」と刻まれている。
1913年(大正2年)4月15日
甲州街道上に京王電気軌道(現・京王電鉄)の金子駅として開設。
旧駅名「金子」は、駅所在地の旧地名「金子村」に由来する。
1927年(昭和2年)12月17日
現在地へ移転。
1957年(昭和32年)5月15日
つつじヶ丘駅へ改称。京王帝都電鉄による宅地開発の計画名称が「つつじヶ丘」であったことと、国鉄(当時)八高線に金子駅があり、連絡運輸取扱上混同する恐れがあったことから改称された。
市天然記念物 金子のイチョウ
所在 西つつじヶ丘二丁目一六番地 山岡家
指定 昭和五十六年三月十日
稲荷社前の一対のイチョウは、目通り幹囲 四・○九㍍と一・九七㍍で、太いほうが雄木、細いほうの雌木が実をつける。
山岡家(屋号は鹿島屋)に伝わる古文書によると、この稲荷大明神は寛延元年(一七四八)に鹿島平兵衛が、京都の伏見稲荷に勧請したものである。古文書の箱書に「武州玉郡金子村己已正 月十八日 鹿島平兵衛」とある。イチョウもそのとき植えたといい伝えられており、樹齢は約二五〇年と推定される。
古くから親しまれた甲州街道沿いの金子村の名を、この地で育ったイチョウの巨木に託し、"金子のイチョウ”と名付けた。
平成六年三月三十日