歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 春日部市粕壁宮本町

春日部駅西口で「クレヨンしんちゃん」が出迎えてくれた。

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浜川戸等にある旧町名を探索した後、トイレを探していると八幡公園にたどり着いた。公園内にある春日部稲荷参道の紅葉がきれいだった。

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春日部稲荷近くの八幡神社に「参道入口道標石」と「都鳥の碑」が設置されている。

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「参道入口道標石」
当神社前の道路は、往古下総国より武蔵国に向かう鎌倉街道の道筋であり数多くの歴史がきざまれてきました。
 この道標石は、これまでの金山の踏み切りの先、三叉路に当神社の「参道入口道標石」として建立されていましたが、自動車によって倒壊することが多く安全のために去る平成九年二月にこの参道に移設しました。

「都鳥の碑」
「名にしおはばいざ言問はん都鳥

      わが思ふ人はありやなしやと」
 この歌は、在原業平平安時代歌人)が奥州に旅をしたとき、武蔵国下総国との境にある隅田川の渡しで詠んだものである。往古当神社の辺りが両国の境になっており、奥州への通路にもなっていました。この石碑は。その故事を後世に伝えんと、江戸末期嘉永六年(一八五三年)粕壁宿の名主関根孝熈が千種正三位源有功に依頼し由緒をあらわしたものです。

平成31年3月26日 春日部市指定有形文化財となった。

 

近くの民家の皇帝ダリアが満開だった。

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自治体名は春日部市だが町名に「粕壁」があり、ややこしい。
「粕壁」も単独の「粕壁」と「粕壁1~4丁目」とがあり、更にややこしい。

もともと春日部の町の名は南北朝時代新田義貞の家臣・春日部氏が治めたことに由来し、当初は春日部と書いた。江戸時代に粕壁に変わり、1944年に春日部の名に復したということのようだ。

 

以前紹介した電力プレート「ホンチヨ-2」の中でいくつかの通称名称を紹介したが、今回紹介する「宮本町」も通称名称のひとつだったようである。

「宮本町」を「今昔マップ on the web」で見てみた。
1944年~1954年までの地図を見てみると、宮本町があった西口一帯は田園地帯だったようだ。この地図では「八幡前」と「富士見町」の町名があるが、「宮本町」はまだ存在していないことがわかる。
1965年~1968年までの地図を見てみると、「八幡前」が「宮本町」に変わったことがわかる。

発見日はいずれも2021年11月15日である。 

①だけ東武野田線の内側にあり、②から⑤は東武野田線の外側の八幡神社前の古道沿いにあった。
今昔マップでは「宮本町」は東武野田線の内側にしかないように思えるが、外側の八木橋方面の方に多く見つかった。境界はどのようになっていたのだろうか?

 

①宮本町プレート

発見場所 埼玉県春日部市粕壁

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春日部市粕壁宮本町6781-13

発見場所 埼玉県春日部市粕壁

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この表札だけ「粕壁宮本町」となっている。「大字粕壁字宮本町」が略されているのだろうか?

春日部市宮本町五六〇六

発見場所 埼玉県春日部市粕壁

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春日部市宮本町五六一四番地

発見場所 埼玉県春日部市粕壁

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春日部市宮本町六八六九番地

発見場所 埼玉県春日部市

これは①のプレートと同じ場所にあった。

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