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琺瑯住所プレート 東京都板橋区

今回は東京都板橋区に現存している琺瑯住所プレートを9枚紹介する。

 

①板橋區大谷口一丁目30番地

発見日 2020年8月17日

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②板橋區大谷口二丁目8番地

発見日 2020年7月13日

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③板橋區大谷口二丁目39番地

発見日 2020年8月17日

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①~③
板橋区の「区」の字が旧字体「區」が使用されている。

 

1559年(永禄2年)
『小田原衆所領役帳』に初出する。『新編武蔵風土記稿』では上板橋村の小名として見える。 

1871年明治4年)11月14日
当該エリアが浦和県(現埼玉県)から東京府編入

1932年(昭和7年
板橋区大谷口町となる。

1957年(昭和32年
この後3年間に幸町・大山西町・大谷口北町大谷口上町・弥生町が分裂し、残った大谷口町と向原町の一部を合わせて大谷口一・二丁目が成立した。

 

④板橋區中丸町23番地

発見日 2021年3月22日

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パイプが前にあり、中丸の文字が見えにくくなっているのが、残念だ。
板橋区の「区」の字が旧字体「區」が使用されている。

1871年明治4年)11月14日
浦和県(現埼玉県)から東京府編入された。

1889年(明治22年
板橋町の一部分となる。

1932年(昭和7年
板橋区の一部となる。

1958年(昭和33年)
板橋区板橋町2・3丁目の一部から中丸町が成立した。

1971年(昭和46年)
住居表示実施。 

 

⑤板橋區東新町一丁目26番地

発見日 2020年7月27日

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「ひがししんまち」ではなく「とうしんちょう」と読む。
板橋区の「区」の字が旧字体「區」が使用されている。

1871年明治4年)11月14日
浦和県(現埼玉県)から東京府編入された。

1932年(昭和7年
板橋区と一部分となる。

住居表示実施に伴い東新町が成立した。 

 

板橋区仲宿28番地

発見日 2021年4月8日

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1871年明治4年)11月
廃藩置県で所属していた浦和県(現埼玉県)から東京府編入大区小区制実施。

1878年明治11年
郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡下板橋宿となる。

1889年(明治22年)4月1日
市制町村制施行により、東京府北豊島郡板橋町大字下板橋となる。

1932年(昭和7年)10月1日
東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区(旧)板橋町五・六・八・十丁目となる(1943年8月1日 東京都制施行)。

1957年(昭和32年)5月1日
地番整理により(旧)板橋町五・六・八・十丁目の一部地域が仲宿に再編される。

 

地名の由来
旧板橋宿は上方(京)に近いほうから、名主の管理区域ごとに上宿・仲宿・平尾宿に分かれていた。その仲宿に由来する。

 

板橋区蓮沼町83番地

発見日 2021年4月8日

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1862年文久2年)
蓮沼村が上蓮沼村と本蓮沼村に分村し、当地域は本蓮沼村となる。

1871年明治4年)11月
浦和県(現埼玉県)から東京府編入大区小区制実施。

1878年明治11年
郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡本蓮沼村となる。

1889年(明治22年)4月1日
市制町村制施行により志村と合併、東京府北豊島郡志村大字本蓮沼となる。

1932年(昭和7年)10月1日
東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区志村本蓮沼町となる(1943年8月1日 東京都制施行)。

1961年(昭和36年)5月1日
地番整理により、志村本蓮沼町および志村清水町、志村小豆沢町、(旧)小豆沢一丁目の一部地域が蓮沼町に再編される。志村本蓮沼町の一部地域は、清水町・大原町に編入される。

 

地名の由来
江戸時代の村名「蓮沼村」に由来する。ただし、武蔵野台地側にある現在の町域が有史以降沼地だった形跡はなく、蓮沼の名は荒川沿いの湿地帯(現在の坂下・東坂下・舟渡付近)にあった沼地によるものと考えられている。当町域に本蓮沼・蓮沼の地名が残った経緯は明らかになっていない。

 

板橋区前野町三丁目40番地

発見日 2020年8月20日

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1871年明治4年)11月
浦和県(現埼玉県)から東京府編入大区小区制実施。

1878年明治11年
郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡前野村となる。

1889年(明治22年)4月1日
市制町村制施行により志村と合併、東京府北豊島郡志村大字前野となる。字名として、南道附・熊野・免谷・日暮久保・城山下・田向。

1961年(昭和36年)5月1日
地番整理により、志村前野町と志村清水町の一部が前野町一丁目に再編される。

1962年(昭和37年)3月1日
地番整理により、志村前野町の大部分および志村小豆沢町、(旧)小豆沢一丁目、志村中台町の一部が前野町二~六丁目に再編される。志村前野町の一部は(旧)志村町二丁目に編入される。

 

地名の由来
志村の台地にある志村城から見て手前に見える台地を「前野原」と称したことに由来する。 

 

板橋区泉町44番地

発見日 2020年8月20日

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1871年明治4年
浦和県(現埼玉県)から東京府編入大区小区制実施。

1878年明治11年
郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡前野村および小豆沢村となる。

1889年(明治22年)4月1日
市制町村制施行により志村と合併、東京府北豊島郡志村大字前野および大字小豆沢となる。

1932年(昭和7年)10月1日
東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区志村清水町および志村小豆沢町となる(1943年8月1日 東京都制施行)。

1961年(昭和36年)5月1日
地番整理により、志村清水町および志村小豆沢町の一部地域が泉町に再編される。

 

地名の由来
現在の泉町24番地、出井の泉公園(旧称・清水児童公園)内の出井の泉に由来する。