歩・探・見・感

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日本最古の子待塔(ねまちとう) 埼玉県富士見市

埼玉県富士見市文化財を調べていたら、日本最古と言われている石造物が二つ存在していることが分かった。
○○最古という言葉に弱い。

ちょうど旧町名の探索に富士見市を訪問する予定だった。
まず一つめの日本最古、子待塔は水子貝塚の近くにあるというので、水子貝塚を20年振り位に訪問した後、立ち寄ってみた。

発見日  2022年4月21日

発見場所 埼玉県富士見市大字水子

 

それは水子貝塚の道路を挟んだ北側にあった。

 

正面の「甲子大黒天」と刻まれた板石型の石碑ではなく、左側にある

 

右横から見たもの。

富士見市ホームページより

水子貝塚の道路を挟んだ北側に、「甲子大黒天」と刻まれた板石型の石碑が目につきます。この石碑は明治29年(1896年)に建てられた新しいものです。しかし、その脇に建つ燈籠型の石造物の竿と呼ばれる部位には、「日本最初、甲子大黒天」の文字が刻まれています。これら石造物は子待塔といい、大黒天(大国主神)を礼拝本尊として豊作や金銭に不自由しないなどのご利益を願って、大黒の使いであるネズミにちなんで干支の甲子または子の日に個人または講中で夜遅くまで起きて精進供養(祭祀)する子待の供養に建てられたものです。この燈籠には、ほかに「天和元辛酉年(1681年) 正月甲子日 河内国古市郡 大黒村 大黒寺」と刻まれています。河内国古市郡は現在の大阪府羽曳野市古市町にあたり、大黒寺は現存し、日本最古といわれる大黒天を本尊としています。おそらくは当寺を参詣した願主が、これを記念し建てたものと思われます。『日本石仏事典』(雄山閣)によると、「石祠などではさらに古いものも見当たると思われるが、明らかな子待供養の石造物としては、この燈籠を一応初出の石造物としておく」と記されています。

 

こちら側に文字が刻まれていた。

 

日本最初
甲子大黒天

 

右から

天和元辛酉年
正月甲子日 
河内国古市郡
大黒村
大黒寺

天和元辛酉年は1681年。

塔に刻まれている文字はところどころ読みにくくなっている。

 

ネットで調べていたら、以下の記事があった。

・埼玉県富士見市の甲子大黒天には、境内に倒伏した石灯籠があり、その円柱部に「北斗星 妙見霊神」の銘が刻まれている。

・土の中からこの塔が見つかったのは2004年(平成16年)3月、大黒天を研究している千葉県柏市在住の写真家松本十徳氏が資料を元に富士見市を訪ね農業を営んでいる山田友昭さん宅に話をしたのがきっかけだった。

ということは以前は倒れていたが、その後、2004年頃、注目を浴び、倒れていたのを立てたということになるのだろう。

 

大黒寺(羽曳野市ホームページより)

寺伝によれば、役小角(えんのおづぬ)が修行中に刻んだ大黒天像を祀(まつ)る小さなお堂を建てたのがはじまりとされています。もとは南方の大黒坂の上にあり、中世には真言宗の寺院でありましたが、 天正(てんしょう)年間(1573~1592)の兵火により焼失しました。これを天和(てんな)年間(1681~1684)に曹洞宗(そうとうしゅう)の僧によって再興され、僧密山(みつざん)の代の享保(きょうほう)19年(1734)に現在の地に移転再建されたと伝えられています。

 

右の方の空地にあったものだ。

これは古代人が石を並べて作ったものが浮き出ているのか?
ナスカの地上絵が日本にもあったのか?

と思う人は誰もいないだろう。

しかし、このような場所にあると、そう想像してみたくなる。

 

富士見市に残る二つめの日本最古のものは後日紹介しよう。