久しぶりに墨田区の文花(ぶんか)、京島(きょうじま)付近を探索するために訪問した。
以前は、街並みや建物に興味があったので、この辺りの古い建物の写真を撮りに訪問していた。
なつかしい。
解体された建物もあるかもしれないが、見覚えがある建物はまだ健在だった。
これが設置されている建物も、はっきりとした記憶がないが、写真に収めているはずだ。
発見日 2022年5月12日
発見場所 東京都墨田区京島2丁目
茶色のペンキで全体が塗られていた。
元の色はよく見るブルーだったのだろう。
歴史
1889年(明治22年)5月1日
町村制の施行に伴い、小村井村、葛西川村の全域と、以下の5村の各一部が合併して吾嬬村が発足(カッコ内は残部の編入先)。
・請地村(東京市本所区、寺島村、大木村)
・寺島村(寺島村、大木村)
・大畑村(寺島村、大木村)
・亀戸村(東京市本所区、深川区、亀戸村、大島村)
・須崎村(東京市本所区、寺島村、大島村、大木村)
1912年(大正元年)9月1日
吾嬬村が町制施行して南葛飾郡吾嬬町となる。
1930年(昭和5年)
それまでの8大字とそれに付随する小字を廃して東一〜八丁目、西一〜九丁目の17大字を設置。
1932年(昭和7年)10月1日
南葛飾郡全域が東京市に編入。吾嬬町の区域は向島区となる。17大字の上に「吾嬬町」を付けた17町を設置。
1947年(昭和22年)3月15日
向島区が本所区と合併して墨田区を新設。
地名の由来
当吾嬬町、吾嬬村の名は、近隣地域の現立花1丁目に所在する「吾嬬神社(あづまじんじゃ)」に由来する。吾嬬(あづま)は「わが妻」の意とされる。
上記のように向島区成立の2年前の1930年に吾嬬町内の大字小字を廃して、東一〜八丁目及び西一〜九丁目までの大字が設置されるのだが、このプレートに記載されている「西四丁目」は吾嬬町の大字である可能性があるらしい。
となるとわずか2年間しか存在しなかった超貴重な町名となる。
そして存在期間はなんと約90年となる。
建物に塗られていた茶色のペンキは、はげ落ちているが、このプレートは茶色のままである。
プレート上部に釘が打たれているだけで、下の木が腐っているような感じがするので、何かの拍子で落ちてしまいそうである。
建物も古いので、密集市街地解消という理由でそのうち解体されてしまう可能性も高い。
写真を撮ることによって記憶や記録には残る。
しかし、現物は消滅の一方である。
自分がこの世界に足を踏み入れたのは2年くらい前のことになるが、もう既に消滅してしまっているのもいくつかある。
いずれ消滅してしまう可能性の高い貴重な旧町名の痕跡達、言い換えると絶滅危惧種をどうにかして救えないだろうかと考える今日この頃である。