5年以上前に発見していたものだが、埋もれていて紹介するのが漏れていた。
この記事を書き始めたのが結構最近のことで、途中まで書いていたのだが、新しいものが見つかるとそちらを優先してしまい、書きかけで筆が止まっていた。
こういう書きかけの記事がたまりにたまって、数えていないが、数年前のものもあり、数十はあるかもしれない。
没にしているわけではないので、そのうち日の目を見させる、日の目を浴びさせるよう頑張ろう。
現状どうなっているか、ストリートビューで確認したところ、新しい家になっていて、残念ながら消滅してしまっていた。
5年も前のことだ、仕方ない。
発見日 2020年9月26日
まず歴史から見ていこう。
1889年(明治22年)
町村制施行により、(旧)小金井村・貫井(ぬくい)村・小金井新田・梶野新田・関野新田・十ヶ新田および下染屋村・押立村・人見村・是政村・上石原村・本多新田の各一部(飛地部分)が合併し、小金井村が誕生。
1893年(明治26年)
三多摩が神奈川県から東京府に移管されたことにより、東京府北多摩郡小金井村となる。
1937年(昭和12年)
町制施行に伴い、北多摩郡小金井町となる。
1943年(昭和18年)7月1日
東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止。
1958年(昭和33年)
市制施行で小金井市となる。
1968年6月1日(昭和43年)
住居表示が実施され、「貫井北町1~5丁目」「貫井南町1~5丁目」となる。
この住居表示以前に既に「貫井北町1~5丁目」「貫井南町1~5丁目」になっているようなのだが、辿れず。
ネットでだけだが、調べた限り「小金井貫井」という町名は存在したことがないようだ。
そうなると「東京市北多摩郡小金井町貫井」、「東京都北多摩郡小金井町貫井」、「東京都小金井市貫井」のどれかになるのでは思われる。
さて、特定できるだろうか?
たましん地域文化財団/デジタルアーカイブで小金井町・小金井町農業協同組合が1955年(昭和30年)に発行した「小金井町町勢一覧」が公開されている。その中に「東京都北多摩郡小金井町全図」があった。
そこにはこの表札と同じ貫井520番地が載っていた。
それからすると、この表札は「東京市北多摩郡小金井町貫井」、「東京都北多摩郡小金井町貫井」のどちらかの可能性が高いと思われる。
もうひとつ「東京市北多摩郡小金井町」だったのではと思う理由がある。
このお宅にあった戦前感漂う右書きの「郵便新聞差入口」。
これを見ると戦前からあったお宅ではないかと思ってしまう。
なので「東京市北多摩郡小金井町貫井」の可能性も捨てきれない。
「東京市北多摩郡小金井町貫井」だったとしたら、とてもうれしいし、「東京都北多摩郡小金井町貫井」でもうれしい。
もう消滅してしまっているので、「東京市」時代のものか、「東京都」になってからのものかは、判断付かないが、希望的観測で「東京市北多摩郡小金井町」時代のものだったとしておこう。
想像するのは勝手だよね。
これは捏造になるのか?