以前、清瀬市と新座市の海軍大和田通信隊跡地を下記の記事で紹介したことがある。
調べていたところ、東久留米市にもあることを知り、訪問してきた。
訪問日 2024年8月19日
東久留米市指定文化財 旧跡第6号 海軍大和田通信隊跡 上の原一丁目、二丁目
昭和11年(1936)に埼玉県北足立郡大和田町西堀に開設された旧日本海軍の外国無線傍受専用受信所の中心的な施設で、翌年に「東京通信隊大和田分遣隊」となり、昭和16年(1941)には「大和田通信隊」として独立しました。 大和田町の受信施設を中心に、東京都北多摩郡清瀬村下清戸、同久留米村神山に及ぶ本隊、清瀬村中清戸の副受信所の 3町村にまたがる広大な面積を有し、久留米村には字神山の平坦地に関連施設やアンテナ群が設置されました。 久留米村部分の面積は明確ではありませんが、海軍施設所有地約1.2ヘクタール、アンテナ等敷設の海軍占有地約200ヘクタール程(現在の上の原一丁目、二丁目内)と推定されます。 戦後、久留米村の用地の大部分は国有地となり、昭和37年(1962)に日本住宅公団の大規模な「東久留米団地」が 建設されました。また、久留米村の通信施設の一部は米軍の「大和田通信所」の基地となり、その後、昭和38年から 昭和52年まで運輸省航空交通管制本部として利用されました。現在、旧海軍通信施設としての遺構等は全く存在 しませんが、上の原二丁目の南西端より 「海軍用地」の境界杭が発見されており、この地に旧海軍の施設が存在した ことを記憶にとどめるため、戦争遺跡として旧跡に指定しました。なお、旧跡指定は東久留米市域のみです。
通信隊全景
久留米村の通信施設
住居表示街区案内図
上の原一丁目、二丁目の範囲が確認できる。