今回は、「麻布桜田町」時代の痕跡を紹介することにしようと思い、2025年1月21日現存を確認しに行く。
そうしたら、テレビ朝日通り沿いが仮囲いで覆われていて、再開発の真っ最中だった。

撮り忘れていた櫻田神社を撮りに来たのだけど、無くなっていた。
こっち?

ビルの1階の仮社殿に移転していた。


室内は撮影禁止だったので、外見だけ。
再開発が完了する2026年に新社殿に再移転することになっているらしい。
まず、随分前に発見していたものだが、消滅してしまったものを紹介することにしよう。
発見日 2021年2月6日
発見場所 東京都港区西麻布三丁目

櫻田神社の参道付近にあったはずだが、周辺の建物ごと無くなっていた。
次に紹介するものは、以前湧水を調査していた時、存在を知ったものだ。
探し回り、ようやく場所を特定できたのだが、夏だったので、草に覆われており、近くに行っても確認することが出来なかった。
冬になり、草がなくなっていることを期待し、再訪することにした。
よかった。
やっと確認することが出来た。
発見日 2025年1月13日
発見場所 東京都港区元麻布三丁目

両側面、裏面を確認してみたいのだが、門が閉ざされており、近くに近寄ることが出来ない。
正面


なぜこんなところにひとつだけポツンと設置されているのかわからない。
この辺りは、1922年(大正11年)、3,300坪に及ぶ住宅地が箱根土地(国土計画の前身)によって開発・分譲されたことがあるらしい。
もしかしたら、その時に設置されたものかもと想像を膨らませてみる。
麻布地区旧町名由来板

治承(じしょう)年間(1177~1181)、源頼朝(みなもとのよりとも)が奥州征伐(おうしゅうせいばつ)の際、鎮守(ちんじゅ)の霞山稲荷(かすみやまいなり)に神領を寄進し、神領の印に田の畝(うね)(作物を作るために、長く土を盛り上げた所)に桜を植えました。その桜が追々繁って自然に桜田とよばれるようになりました。桜田町はもともと霞ヶ関(現在の千代田区)にありましたが、寛永(かんえい)元年(1624)、江戸城御用地になるのに伴い代地を受け移ってきました。
住居表示の実施により、1966年(昭和41年)7月1日に東南部が元麻布三丁目に(その後、一部が六本木、西麻布に変更)、1967年(昭和42年)1月1日には西部が西麻布三丁目に(その後、一部が六本木、元麻布に変更)、そして1967年(昭和42年)7月1日には東北部が六本木六丁目(その後、一部が元麻布、西麻布に変更)にそれぞれ編入となり消滅。
昭和20年代の港区地図

現代(平成18年)の港区地図
